アレクサンドル・デュマ・フィス

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アレクサンドル・デュマ・フィス

アレクサンドル・デュマ・フィス(Alexandre Dumas fils, 1824年7月27日 - 1895年11月27日)は、フランス劇作家小説家

父(大デュマ)と区別するために「小デュマ」、またはフィス(息子)を付けて呼ばれる。ロマン主義演劇の大家であった父の影響を受けながらも、小さな世界を写実的にしっとりと描く作風が特徴である。

生涯[編集]

同名の父・アレクサンドル・デュマと縫製工の母カトリーヌ・ロール・ラベ (Catherine Laure Labay) の私生児として、現在のパリ2区にあるボイエルデュー広場 (Place Boieldieu) 1番地に生まれた。1831年に認知され、できうる最高の教育を受け、現在のパリ9区にあるリセ・コンドルセに通った。

子供と引き離された母の苦悩や、青春期に受けた周囲からの偏見は、彼のその後の作風に大きく影響している。若い頃は父親の金で遊び呆けたものの、1844年暮れ、20歳の時に7人もの大金持ちのパトロンを持つ高級娼婦(クルチザンヌマリー・デュプレシと出会い、恋に落ちた。マリーは間もなく病死するが、1848年2月、24歳の時に彼女との思い出を小説『椿姫』として書き上げて出版し、これがデュマの代表作となった。1849年、勧めに従い1週間で戯曲版を書き上げ、翌1850年に上演されて大成功を収めた。この初演以降、デュマはパリの演劇界で絶大な影響力を持ち、経済、文学両面でも大成功を収め、アカデミー・フランセーズ入り(座席番号2)も果たした。

家族[編集]

参考文献[編集]

  • 佐藤賢一『象牙色の賢者』(文藝春秋、2010年)- デュマ・フィスの生涯をテーマにした歴史小説
  • アレクサンドル・デュマ・フィス『放蕩親父』(五幕喜劇)中田平・中田たか子(翻訳)、出版社、デジタルエステイト(2023年)。

外部リンク[編集]


前任
ピエール=アントワーヌ・ルブラン
アカデミー・フランセーズ
席次2

第10代:1874年 - 1895年
後任
アンドレ・トゥーリエ