アルベルト・ボルマン

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ナチス・ドイツの旗 ドイツ国の政治家
アルベルト・ボルマン
Albert Bormann
生年月日 1902年9月2日
出生地 ドイツの旗 ドイツ帝国
Flag of Prussia 1892-1918.svg プロイセン王国 ザクセン州ヴェーゲレーベンドイツ語版
没年月日 1989年4月8日(満86歳没)
死没地 西ドイツの旗 西ドイツ
バイエルン州の旗 バイエルン州 ミュンヘン
前職 銀行員
所属政党 Reichsadler der Deutsches Reich (1933–1945).svg 国家社会主義ドイツ労働者党
親族 マルティン・ボルマン(兄)

選挙区 西ベルリン
当選回数 1回
在任期間 1938年 - 1945年
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アルベルト・ボルマンAlbert Bormann, 1902年9月2日 - 1989年4月8日)はドイツの政治家。アドルフ・ヒトラーの個人秘書。最終階級はNSKK中将。党官房長を務めたマルティン・ボルマンの実弟。

来歴[編集]

1942年、ヒトラーとクヴィスリングの会談に同席するアルベルト(右端)とマルティン(右から2人目)

プロイセン王国ザクセン州(現在のザクセン=アンハルト州)のハルバーシュタットドイツ語版近郊のヴェーゲレーベンドイツ語版で、郵便局員テオドール・ボルマンの次男として生まれる。姉兄には、テオドールの前妻ルイーズが生んだイルゼとヴァルター、母アントニエが生んだマルティンがいる。

1922年に銀行に就職する。1927年には国家社会主義ドイツ労働者党に入党し、突撃隊に参加する。1929年から1931年まで、マルティンが管区指導者を務めていたテューリンゲンで、ヒトラーユーゲントの指導者を務める。1931年4月からは党救済基金部門ドイツ語版に配属され、10月には党官房に異動し、ヒトラーと党関連団体との取り次ぎを担当した。アルベルトは目立つことを避け、自身の行動は常に公益のためであり、地位を私的濫用していないと信じていたという[1]。また、この頃にフィリップ・ボウラーと友好を結んだ[1][2]

1934年からはヒトラーの秘書として仕え突撃隊大佐に昇進し、間もなく総統官房において主要幹部の一人としてヒトラーの事務を処理するようになる[1]1938年には西ベルリン選挙区から選出されて国会議員になった。アルベルトはヒトラーから有能で信頼できる人物と評価され、人事にも影響を及ぼすことがあったため、ヒトラーの側近の座を巡りマルティンとは対立関係にあった[2]。アルベルトの妻はドイツ系ハンガリー人であったが、マルティンはドイツ系ではないという噂を流した。また、会議で同席することがあっても、互いに会話を交わすことはなかった。

1945年4月21日、連合軍がベルリンに迫ると、ヒトラーの命令によりベルリンから脱出し、オーバーザルツベルクベルクホーフに向かいヒトラーの個人的な書類を処分する。ドイツ降伏後は農場で農業労働者として潜伏していたが、1949年4月に出頭して逮捕された。非ナチ化裁判で6か月の重労働刑の判決を受け、釈放後はミュンヘンに住んだ。

1989年4月8日にミュンヘンで死去。終生マルティンのことを嫌い続け、戦後にナチス時代についての取材を受けた際にも、マルティンのことを話題にすることを避けていた[1]

参考文献[編集]

  • Hamilton, Charles (1984). Leaders & Personalities of the Third Reich, Vol. 1. R. James Bender Publishing. ISBN 0-912138-27-0. 
  • Joachimsthaler, Anton (1999) [1995]. The Last Days of Hitler: The Legends, the Evidence, the Truth. Trans. Helmut Bögler. London: Brockhampton Press. ISBN 978-1-86019-902-8. 
  • Junge, Traudl (2004). Until the Final Hour: Hitler's Last Secretary. Melissa Müller (editor). Arcade Publishing. ISBN 1-55970-728-3. 
  • von Lang, Jochen (1979). The Secretary: Martin Bormann, the Man Who Manipulated Hitler. Random House. ISBN 978-0394503219. 

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Hamilton 1984, pp. 135, 136.
  2. ^ a b von Lang 1979, p. 140.
  3. ^ Junge 2004, p. 29.