アブドゥル・サッタル・イーディ

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アブドゥル・サッタル・イーディ(2009年ごろ)

アブドゥル・サッタル・イーディウルドゥー語:عبد الستار ایدھی,: Abdul Sattar Edhi,1928年2月28日?-2016年7月8日[1])大英帝国領インドグジャラート州バントバ生まれの社会事業家、慈善事業家。 Edhi(エディ)財団創設者として、遺棄された幼児2万人以上を救助し、5万人以上の孤児を助け、4万人の看護師を育てた[2]。パキスタンなどでは「慈悲の天使」などと呼ばれている。アブドゥル・サッタール・エディなどと表記される例もある。2017年には50パキスタン・ルピー硬貨に、「慈悲 1928-2016」という文言とともに肖像が刻まれた[3]

経歴[編集]

1928年2月28日もしくは1月1日に当時大英帝国領だったインドのグジャラート州バントバ(en:Bantva)に生まれた。父親は中産階級だったという。11歳の頃に母親が病にかかり、19歳の頃に亡くなる。いつも母親から登校前に2枚のコインを渡され、「1枚は自分のため、もう1枚は貧しい人のため」と諭され、使い残して帰宅すると叱られたという[4]

こうした体験が、この後の彼の人生を決定づけた。1947年にインド・パキスタン分離独立が起きると、彼と彼の一家はパキスタンに移住し、カラチに定住した。1951年に彼の蓄えにより、小ぶりな店鋪を買い取った無料診療所など慈善事業を始めた。出身地や宗派により分け隔てをせず、現在のエディ財団に至るまでパキスタン政府や外国からの寄付は受けないことで、政治的に中立を守った。それ以降、60年間社会事業と慈善活動に尽力し、2016年に88歳で亡くなった。60年を超える活動で、幼児2万人と孤児5万人を超える人々を助け、4万人の看護師および600台の救急車を備え、多数の病院などを設立したとされる[2]。2017年2月28日にGoogleが生誕89周年を祝ってGoogleロゴに採用した事により日本でも知られるようになり[5]、同年にはエディ財団が日経アジア賞の文化・社会部門で表彰された。妻は、診療所で働いていた看護師のBilquis(en:Bilquis Edhi)。死去地にはパキスタンで国葬に付された。

1994年12月には、パキスタン軍が企てたクーデター大統領候補に担がれそうになったためイギリスに一時亡命し、「インドのスパイ」という中傷を流布されたこともある。エディ財団の活動は、息子のフェイサル・エディが引き継いでいる[6]。 。

脚注[編集]

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  1. ^ عبدالستار ایدھی: لاوارثوں کا وارث - BBC UrduBBCパキスタン Urdu語版アブドゥル・サッタル・イーディ死去に伴う特集ページ(ウルドゥー語
  2. ^ a b Abdul Sattar Edhi laid to rest in Karachiパキスタン国営ラジオ放送 ラジオパキスタン(英語)
  3. ^ 「第22回日経アジア賞 文化社会部門 エディ財団」『日本経済新聞』朝刊2017年5月1日
  4. ^ 「第22回日経アジア賞 文化社会部門 エディ財団」『日本経済新聞』朝刊2017年5月1日
  5. ^ アブドゥル・サッタール・エディ生誕 89 周年google doodlesアーカイブス
  6. ^ 「第22回日経アジア賞 文化社会部門 エディ財団」『日本経済新聞』朝刊2017年5月1日