アクラム・ペールワン
アクラム・ペールワン | |
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プロフィール | |
リングネーム | アクラム・ペールワン |
ニックネーム | The Lion |
身長 | 178cm |
体重 | 100kg - 120kg |
誕生日 | 1930年 |
死亡日 | 1987年4月12日 |
出身地 | ![]() |
トレーナー | ザ・グレート・ガマ (The Great Gama) |
デビュー | 1953年 |
引退 | 1976年 |
アクラム・ペールワン(Akram Pahalwan、1930年 - 1987年4月12日[1])は、パキスタンのプロレスラーである。
概要[編集]
パキスタンを代表する格闘一家「ボル・ブラザーズ(Bholu Brothers)」の一人で、その強さからパキスタンでは「英雄」と称えられていた。
アントニオ猪木戦[編集]
モハメド・アリとの試合で世界的に有名になったアントニオ猪木の対戦相手に名乗りを挙げ、1976年12月12日にカラチのナショナルスタジアムで対決が実現した。この試合はいわゆるシナリオに沿った興行ではなく、ノールール・マッチだったと一部で言われているが試合の映像を見ると、猪木、アクラムともにパンチやキックなどの打撃技は一切使っていないことから、なんらかのルールがあったものと思われる。
試合は開始直後から異様な展開になり、ペールワンは組み合う最中に猪木の腕に歯型の傷が付くほど強烈に噛み付いた。それに応報するように猪木はペールワンの目に親指を突き入れ[2]、戦意を喪失。加えてスタミナを著しく消耗していたペールワンは、猪木にアームロックを完全な形で極められるがギブアップせず、腕を脱臼させられ、3ラウンド1分5秒ドクターストップで敗北[3]。ペールワンはこの試合で片目を失明したともいわれており、同年限りで現役を引退している。
対戦した猪木はペールワンを「とにかく体が柔らかく、組んでからものをいう体幹のパワーがあった」、「日本的にいえば力士をウェイトダウンさせたような感じ」と評している。
脚注[編集]
- ^ “Bholu Brothers”. Wrestlers Information. 2011年11月7日閲覧。
- ^ “【Sports Watch】猪木が振り返る「最悪の試合」とは?”. Sports Watch - ライブドアニュース - Livedoor (2011年2月19日). 2017年2月23日閲覧。
- ^ 新間寿 『日本プロレス史の目撃者が語る真相! 新間寿の我、未だ戦場に在り!<獅子の巻>』 ダイアプレス、2016年7月22日、90-91頁。ISBN 978-4802301886。