せと観光ボート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
せと観光ボート有限会社
Seto Sightseeing Boat Co.,Ltd.
三原・今治航路のせとひめ(2代) (2003年)
三原・今治航路のせとひめ(2代) (2003年)
種類 有限会社
本社所在地 日本の旗 日本
737-0845
愛媛県今治市東門町5丁目1-13
業種 海運業
法人番号 9500002024335 ウィキデータを編集
代表者 森忠幸
テンプレートを表示

せと観光ボート(せとかんこうボート)は、高速船を運航する海運会社である。1999年から2011年にかけて、他社の廃止航路を代替する形で定期航路を運航したが、2023年現在、定期航路からは撤退している。

会社概要[編集]

  • 本社 広島県呉市[1]
  • 主要事業 海上タクシー、ダイバー船、観光貸切船

かつて運航していた航路[編集]

2011年8月21日まで一般旅客定期航路を運航していた[2]が、撤退し、海上タクシーなどの運航に事業を縮小した。すべて旅客船(高速船)による運航である。

瀬戸内海汽船と昭和海運による三原・今治国道フェリーの廃止を受けて開設された。
1999年3月1日運航開始[3]2007年1月20日運航休止。
山陽商船広今あきなだ高速の(広島・呉 -) 大長 - 今治航路の廃止を受けて開設された。
2008年11月20日、下記の航路に変更。
豊島大橋開通に伴い航路の存廃が取りざたされていたが、本州本土側の発着港を、JR呉線の駅が近い川尻港に移して乗客増を図っていた。2010年12月1日、下記の航路に変更[4]
広島市方面への連絡が容易なJR呉線の呉駅に近い呉中央桟橋を発着港に変更した[4]
2011年3月23日をもって、呉中央桟橋 - 豊島港(豊島)間の運航を廃止した[1]
定期航路の最終形態。2011年3月24日から2011年8月21日まで運航を行った[1][2]

船舶[編集]

  • スーパーせと[3]
1997年竣工、10総トン、旅客定員12名
1999年3月1日、三原 - 今治航路に就航。
  • せとひめ (初代)
せとゆき
  • せとゆき[5]
1999年7月13日竣工、大本造船建造。
14総トン、全長14.9m、幅3.1m、深さ1.5m、ディーゼル2基、機関出力820ps、航海速力35ノット、旅客定員12名
「スーパーせと」に代わって三原 - 今治航路に就航。
引退後、大生汽船に売船、「みしま8号」として就航。
  • せとひめ (2代)
2003年竣工、瀬戸内クラフト建造。
18.00総トン、全長17.00m、幅3.70m、深さ1.70m、いすゞ UM6HE1TCY×2基、機関出力265kW×2、最大速力30.20ノット、旅客定員43名
  • ゆきひめ
2010年竣工、大本造船建造。
19総トン、全長17.97m、全幅3.99m、機関出力420PS×2、航海速力21ノット、旅客定員67名

脚注[編集]

  1. ^ a b c せと観光ボート有限会社のダイヤ変更について”. 国土交通省四国運輸局 (2011年3月3日). 2015年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月1日閲覧。
  2. ^ a b 大長-今治航路が廃止 豊島大橋の開通で利用客減少”. 47NEWS (2011年8月21日). 2011年8月22日閲覧。[リンク切れ]
  3. ^ a b 世界の艦船 第556集 1999年8月号 P.110 (海人社)
  4. ^ a b 呉―今治の高速船航路変更へ”. 中国新聞 (2010年11月24日). 2010年12月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月6日閲覧。
  5. ^ 世界の艦船 第561集 1999年12月号 P.123 (海人社)

外部リンク[編集]