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「フレッチャー (DD-445)」の版間の差分

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'''フレッチャー''' ('''USS Fletcher, DD-445''') は、[[アメリカ海軍]]の[[駆逐艦]]。[[フレッチャー級駆逐艦]]の一隻で、ネームシップ。艦名は[[1914年]][[ベラクルス]]上陸を指揮し[[名誉勲章]]を受章した[[フランク・F・フレッチャー]][[提督]]に因む。
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'''フレッチャー''' ('''USS Fletcher, DD/DDE-445''') は、[[アメリカ海軍]]の[[駆逐艦]]。[[フレッチャー級駆逐艦]]の一隻で、ネームシップ。艦名は[[1914年]][[ベラクルス]]上陸を指揮し[[名誉勲章]]を受章した[[フランク・F・フレッチャー]][[提督]]に因む。


==艦歴==
==艦歴==
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===第二次世界大戦===
===第二次世界大戦===
就役したフレッチャーは太平洋艦隊に配属され、[[ガダルカナル島]]を巡る[[1942年]][[11月13日]]の[[第3次ソロモン海戦]]、[[11月30日]]の[[ルンガ沖夜戦]]など対日戦を戦った。第3次ソロモン海戦では戦艦[[比叡 (戦艦)|比叡]]の撃沈に貢献し、[[1943年]][[2月11日]]には僚艦と合同で伊-18を撃沈するなど対潜作戦にも戦果を挙げている。
就役したフレッチャーは太平洋艦隊に配属され、[[ガダルカナル島]]を巡る[[1942年]][[11月13日]]の[[第3次ソロモン海戦]]、[[11月30日]]の[[ルンガ沖夜戦]]など対日戦を戦った。第3次ソロモン海戦では戦艦[[比叡 (戦艦)|比叡]]の撃沈に貢献し、[[1943年]][[2月11日]]には僚艦と合同で伊-18を撃沈するなど対潜作戦にも戦果を挙げている。
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戦後[[1946年]]8月、予備役に編入され翌年初頭に退役した。

===朝鮮===
フレッチャーは1949年10月3日に DDE-445 (護衛駆逐艦)に艦種変更され再就役する。1950年5月1日にサンディエゴを出航し西太平洋で[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]に加わる。[[朝鮮戦争]]の勃発時、[[空母]][[ヴァリー・フォージ (空母)|ヴァリー・フォージ]] (''USS Valley Forge, CV-45'') と共に[[香港]]停泊中であったフレッチャーは、7月3日に部隊と共に[[韓国]]沖に到着した。部隊には[[イギリス海軍]]の[[トライアンフ (空母)|トライアンフ]] (''HMS Triumph, R16'') が加わり、[[北朝鮮]]への空爆を開始した。フレッチャーは夏まで[[朝鮮半島]]で任務に従事し、[[沖縄]]の[[中城湾]]および[[長崎]]の[[佐世保]]で補給を行った。9月13日から17日にかけて行われた[[仁川上陸作戦]]の支援を行い、その後11月11日に母港の[[真珠湾]]に帰還した。

1951年11月19日に真珠湾を出港、[[朝鮮半島]]での作戦任務に就く第7艦隊で空母の護衛を担当する。護衛任務に加えて2度の艦砲射撃を行い、沖縄の沖合で行われた対潜訓練に参加、[[台湾海峡]]の偵察を行った。1952年6月20日に真珠湾に帰還し、9月5日から11月24日までは[[マーシャル諸島]]で行われた[[原爆実験]]に参加した。その後1953年5月4日から11月30日まで再び極東での任務に従事した。

1954年から62年までフレッチャーは毎年、第7艦隊と共に極東での任務に就き、1955年には[[大陳群島]]で対潜護衛任務を担当した。<!--In both 1957 and 1958, she made her outward bound passage by way of Samoa and Australia.-->この間の主な任務は対潜水艦戦訓練であった。


フレッチャーは1968年8月1日に退役、同日除籍され、1972年2月22日にスクラップとして売却された。
===戦===
戦後[[1946年]]8月、予備役に編入され翌年初頭に退役した。2年後の[[1949年]]、[[護衛駆逐艦]](DDE)に艦種変更して再就役する。[[1962年]]艦種を駆逐艦に再度変更。[[1969年]]退役し、同年[[8月1日]]除籍された。


フレッチャーは[[第二次世界大戦]]の功績で15個、[[朝鮮戦争]]の功績で5個の従軍星章を受賞した。
フレッチャーは[[第二次世界大戦]]の功績で15個、[[朝鮮戦争]]の功績で5個の従軍星章を受賞した。
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* [[アメリカ海軍艦艇一覧]]
* [[アメリカ海軍艦艇一覧]]


==外部リンク==
*[http://www.ussfletcher.org/ USS ''Fletcher'' Reunion Page]
*[http://www.destroyerhistory.org/fletcherclass/ussfletcher/index.html USS ''Fletcher'' website] at [http://www.destroyerhistory.org/index.html Destroyer History Foundation]
*[http://www.navsource.org/archives/05/445.htm Photos of USS ''Fletcher'']
*[http://www.destroyersonline.com/usndd/dd445/dd445pho.htm? Destoyers Online page for USS ''Fletcher'']
*[http://www.history.navy.mil/danfs/f3/fletcher.htm history.navy.mil]




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2008年3月17日 (月) 21:49時点における版

艦歴
発注:
起工: 1941年6月2日
進水: 1942年5月3日
就役: 1942年6月30日
退役: 1969年8月1日
その後: 1972年2月22日にスクラップとして売却
除籍: 1969年8月1日
性能諸元
排水量: 2,100 トン
全長: 376 ft 3 in (114.7 m)
全幅: 39 ft 8 in (12.1 m)
吃水: 13 ft (4.0 m)
機関: 蒸気タービン、2軸推進 60,000 shp (45 MW)
最大速: 36ノット (67 km/h)
乗員: 士官、兵員273名
兵装: 5インチ砲5門
20mm砲7門
40mm砲8門
爆雷軌条2基
爆雷投射機6基
21インチ魚雷発射管10門

フレッチャー (USS Fletcher, DD/DDE-445) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻で、ネームシップ。艦名は1914年ベラクルス上陸を指揮し名誉勲章を受章したフランク・F・フレッチャー提督に因む。

艦歴

フレッチャーは1941年10月2日ニュージャージー州カーニーのフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工された。1942年5月3日にフレッチャー提督未亡人であるF・F・フレッチャー夫人によって進水、6月30日竣工しウィリアム・M・コール少佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦

就役したフレッチャーは太平洋艦隊に配属され、ガダルカナル島を巡る1942年11月13日第3次ソロモン海戦11月30日ルンガ沖夜戦など対日戦を戦った。第3次ソロモン海戦では戦艦比叡の撃沈に貢献し、1943年2月11日には僚艦と合同で伊-18を撃沈するなど対潜作戦にも戦果を挙げている。

戦後1946年8月、予備役に編入され翌年初頭に退役した。

朝鮮戦争

フレッチャーは1949年10月3日に DDE-445 (護衛駆逐艦)に艦種変更され再就役する。1950年5月1日にサンディエゴを出航し西太平洋で第7艦隊に加わる。朝鮮戦争の勃発時、空母ヴァリー・フォージ (USS Valley Forge, CV-45) と共に香港停泊中であったフレッチャーは、7月3日に部隊と共に韓国沖に到着した。部隊にはイギリス海軍トライアンフ (HMS Triumph, R16) が加わり、北朝鮮への空爆を開始した。フレッチャーは夏まで朝鮮半島で任務に従事し、沖縄中城湾および長崎佐世保で補給を行った。9月13日から17日にかけて行われた仁川上陸作戦の支援を行い、その後11月11日に母港の真珠湾に帰還した。

1951年11月19日に真珠湾を出港、朝鮮半島での作戦任務に就く第7艦隊で空母の護衛を担当する。護衛任務に加えて2度の艦砲射撃を行い、沖縄の沖合で行われた対潜訓練に参加、台湾海峡の偵察を行った。1952年6月20日に真珠湾に帰還し、9月5日から11月24日まではマーシャル諸島で行われた原爆実験に参加した。その後1953年5月4日から11月30日まで再び極東での任務に従事した。

1954年から62年までフレッチャーは毎年、第7艦隊と共に極東での任務に就き、1955年には大陳群島で対潜護衛任務を担当した。この間の主な任務は対潜水艦戦訓練であった。

フレッチャーは1968年8月1日に退役、同日除籍され、1972年2月22日にスクラップとして売却された。

フレッチャーは第二次世界大戦の功績で15個、朝鮮戦争の功績で5個の従軍星章を受賞した。

関連項目

外部リンク