齊藤金作

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1961年頃の齊藤金作

齊藤 金作(さいとう きんさく、1903年2月6日 - 1969年11月25日)は、日本法学者刑法)。法学博士早稲田大学論文博士・1954年)(学位論文「共犯理論の研究」)。従四位勲三等旭日中綬章埼玉県出身。

人物

1928年早稲田大学法学部独法科を卒業。助手助教授を経て、1942年から同大教授に就任。1951年に第二法学部長、1956年に第一法学部長となる。1954年、学位論文「共犯理論の研究」により早稲田大学から法学博士を授けられる。

共犯論の大家。大審院判事草野豹一郎が提唱した共同意思主体説の理論化を行い、共謀共同正犯を肯定したが、当時は学界の激しい非難を浴びた。共同意思主体説は弟子の西原春夫に受け継がれている。孫弟子の曽根威彦は共同意思主体説を採るが、共謀共同正犯は否定している。

草野豹一郎門下。弟子の内田一郎は女婿。

1969年11月25日、尿毒症のため東京女子医科大学病院で死去した[1]

著書

単著

編著

翻訳

  • ギュンテル・ブラウ 著、斎藤金作 訳『刑罰と保安処分』法務大臣官房司法法制調査部調査統計課〈法務資料 第378号〉、1962年2月。 

共著

論文集

門下生

脚注

  1. ^ 訃報欄『朝日新聞』1969年(昭和44年)11月26日朝刊、12版、15面

関連項目