黒田杏子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。F1leg (会話 | 投稿記録) による 2022年8月9日 (火) 01:09個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年(昭和13年)8月10日 - )は、日本の俳人

来歴

東京市本郷生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。栃木県立宇都宮女子高等学校から東京女子大学に進学[1]。大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。東京女子大学文学部心理学科を卒業後、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴梅原猛山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。この間、10年ほど作句を中断。1970年、青邨に再入門。青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。日本経済新聞俳壇選者。日本ペンクラブ会員。

人物

  • 代表句に「白葱のひかりの棒をいま刻む」「一の橋二の橋ほたるふぶきけり」など。
  • 季語の現場人」と自ら名付けた姿勢を作句の基本とし、平明な表現で季語を生かす句風を特徴とする。
  • 結社活動も含め俳人として精力的な活動を行っており、おかっぱ頭、モンペ姿のトレードマークで親しまれている。
  • 女流では宇多喜代子らと並び称される存在である。
  • 句作を再開した1970年から同時に「日本列島桜花巡礼」を発心、30年かけて全国の桜を巡り「桜」の俳人としても知られる。

受賞歴

著書

句集

  • 第一句集『木の椅子』 牧羊社、1981年
  • 第二句集『水の扉』 牧羊社、1983年 のち邑書林句集文庫、1997年
  • 第三句集『一木一草』花神社、1995年
  • 第四句集『花下草上』角川書店、2005年
  • 『黒田杏子句集成』角川書店 2007
  • 第五句集『日光月光』角川学芸出版、2010年
  • 第六句集『銀河山河』角川学芸出版、2013年

その他

  • 『あなたの俳句づくり 季語のある暮らし』1987 小学館カルチャー専科 「今日からはじめる俳句」小学館ライブラリー
  • 『俳句と出会う』小学館、1995年 のちライブラリー
  • 『「おくのほそ道」をゆく』植田正治写真 小学館 1997
  • 『黒田杏子歳時記』立風書房 1997
  • 『俳句、はじめてみませんか』立風書房 1997
  • 『はじめての俳句づくり-五・七・五のたのしみ』小学館フォトカルチャー、1997年
  • 『花天月地』立風書房 2001
  • 『季語の記憶』白水社 2003
  • 『布の歳時記』白水社、2003年 のちUブックス 
  • 金子兜太養生訓』白水社 2005
  • 『俳句列島日本すみずみ吟遊』飯塚書店、2005年
  • 『俳句の玉手箱』飯塚書店、2008年
  • 『暮らしの歳時記 未来への記憶』岩波書店 2011 
  • 『手紙歳時記』白水社、2012 
  • 『証言・昭和の俳句』コールサック社、2021 

共編著

参考文献

脚注

  1. ^ 大関作新館賞 - 大田原市立黒羽小学校 (運用 by 黒羽小学校PTA)”. schit.net. 2022年7月30日閲覧。
  2. ^ 現代俳句大賞に黒田さん”. 日本経済新聞 (2020年3月2日). 2020年3月9日閲覧。

外部リンク