鹿の子

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鹿の子(かのこ)とは、

  1. 鹿の子供のこと。夏の季語
  2. 鹿の子足(かのこあし)の略で、馬の歩み方の一種。

また、鹿の背のように斑点が散在する様を指して伝統的に鹿の子斑(かのこまだら)と呼び、この含意による用法がいくつか存在する。

  1. 上記鹿の子斑の略。
  2. 鹿の子絞り(かのこしぼり)の略。伝統的な絞り染めの柄の一種。
  3. 鯨肉鹿の子あごからほほにかけての周辺の肉で、鹿の子状に脂肪の中に筋肉が散り霜降り状のもの。
  4. 鹿の子餅の略。和菓子の一種。

その他以下のように「鹿の子」を戴く言葉は多数ある。

本項では鹿の子餅について解説する。


右手奥から2番目の菓子が鹿の子である

鹿の子(かのこ)は、和菓子の一種。鹿の子餅とも呼ばれる。

鹿の子は3から4層の構造になる。まず求肥羊羹のうちどれかを芯とし、そのまわりにをつける。できた餡玉に鹿の子豆と呼ばれる形の整った豆の蜜漬けを外側に隙間なくつけて完成する。[1]最後につやを出すため寒天につけることもある。

鹿の子豆に使われる豆は小豆金時豆うずら豆うぐいす豆などがある。鹿の子豆は硬めで形の整ったものであれば豆でなくてもよく、を使った栗鹿の子も一般的[2]で、長野県小布施町などの名物となっている。また、白いんげんを鹿の子豆に使ったものは京鹿の子と呼ばれることがある。小豆の場合は小倉野という名でも呼ばれる[3]

鹿の子という名の由来は、整った粒が隙間なく並ぶさまが鹿の背の斑点を思わせることからつけられた[4]。鹿の子がはじめて作られたのは宝暦年間で、江戸人形町にあったエビス屋という和菓子屋から売り出されたが、この店は嵐音八という役者の実家であり、役者手製の餅菓子として評判を呼び全国に広まったというその後、芯に餅の代わりに求肥や羊羹を用いることも行われるようになった。[5]

脚注

  1. ^ 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p111 昭和33年12月25日発行
  2. ^ 「京の和菓子」辻ミチ子 中央公論新社 p111 2005年7月25日発行
  3. ^ 「事典 和菓子の世界」中山圭子 岩波書店 p40-41 2006年2月24日発行
  4. ^ 「事典 和菓子の世界」中山圭子 岩波書店 p41 2006年2月24日発行
  5. ^ 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p111 昭和33年12月25日発行