鷺山城

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鷺山城
岐阜県
鷺山の山頂にある鷺山城跡
鷺山の山頂にある鷺山城跡
別名 鷺山城
城郭構造 山城
天守構造 不明
築城主 佐竹秀義
築城年 文治年間(1185年-1190年)
主な改修者 斎藤義龍
主な城主 土岐氏斎藤氏
廃城年 弘治2年(1556年)
遺構 土塁、堀
指定文化財 なし
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中央の小高い山が鷺山城のあった鷺山

鷺山城(さぎやまじょう)は、現在の日本岐阜県岐阜市にある、平安時代末期、鎌倉時代 - 戦国時代の城である。標高68mの鷺山の山頂にある。戦いの為の城ではなく、住居としての城であったという。

歴史

鎌倉時代の文治年間(1185年 - 1190年)、佐竹常陸介秀義が築城する。

室町時代美濃国守護大名である土岐氏の城となるが、1353年文和2年)に川手城が築城されると、鷺山城は重要視されなくなり、次第に衰退する。永正年間、土岐頼芸が鷺山城を再興し、後の土岐氏第11代として川手城に入るまで居城する。

1530年享禄3年)、斎藤道三により土岐氏が追放され、道三が稲葉山城に拠点を移したことにより再び衰退する。

1548年(天文17年)、道三が家督を息子の斎藤義龍に譲ると鷺山城を改修、鷺山城に隠居する。しかし義龍はこの道三の行動を、家督を義竜の弟(斎藤龍重斎藤龍定)に譲ると勘違いし、1555年弘治元年)、道三を鷺山城から追放する。1556年(弘治2年)には、義龍は道三を攻め滅ぼし、これを討ち取る(長良川の戦い)。この戦いの後、鷺山城は廃城となる。

現状

1964年(昭和39年)、東海道新幹線名神高速道路の建設用土砂の採取の為、鷺山城があった鷺山の一部は削り取られる。この時、鷺山城の礎石と思われる石が発見される。

一部は削り取られたが、城跡は保存され、土塁、堀等がある。

関連項目