雲母坂
雲母坂(きららざか)は、京都市左京区修学院の修学院離宮の脇より比叡山の山頂に至る古道である。
概要
音羽川沿いの住宅街を抜けた先にかかる雲母橋が登山口で、親鸞ゆかりの石碑[1]が立つ。修学院離宮の外縁を巡る登山道を登り、水飲対陣跡[2]を過ぎて京福電気鉄道鋼索線のケーブル比叡駅を経由して比叡山の山頂に至る。坂の名である「雲母」の由縁は、この山道が花崗岩の砕けた地質であり、土砂中に雲母が含まれていることによるとされるが、異説もある。延暦寺の千日回峰行が行われる行者道でもある。同じく行者道の一部であった京都市左京区一乗寺の曼殊院道(府道104号部分)、あるいは曼殊院参道が「雲母坂」であるとする説もあり、いずれも舗装前は同様の地質であった。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞が、9歳(治承5年〈1181年〉)の時に青蓮院で出家し、叡山(比叡山延暦寺)へ修学のために登り、29歳(建仁元年〈1201年〉)の春頃に叡山と決別し、六角堂へ百日参籠を行うために下山した道とされる。1336年(北朝:建武3年/南朝:延元元年6月7日)の延元の乱で、比叡山に篭った後醍醐天皇方の千種忠顕率いる軍が細川氏を先陣とする足利直義の軍と対陣し、西坂本合戦で忠顕が討ち死にした地でもある。
注記
- ^ 京都市いしぶみデータベース:親鸞聖人御旧跡きらら坂
- ^ 京都市いしぶみデータベース:水飲対陣跡
関連項目
- 叡山電鉄900系電車 - 愛称の「きらら」の由来のひとつとなっている。