長崎幸太郎
前衆議院議員 長崎 幸太郎 | |
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生年月日 | 1968年8月18日(55歳) |
出身地 | 東京都 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
学位・資格 | 法学士 |
前職 | 国家公務員(大蔵省・財務省) |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 比例南関東ブロック |
当選回数 | 1回 |
所属党派 |
(自由民主党(二階派・83会)→) 無所属 |
ウェブサイト | 長崎幸太郎オフィシャルサイト |
長崎 幸太郎(ながさき こうたろう、1968年8月18日 - )は、日本の政治家。前衆議院議員(1期)。
来歴
東京都出身。開成高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、大蔵省に入省した。
財務省を退官後の2005年、第44回衆議院議員総選挙に急遽、山梨県第2区から自由民主党公認で出馬する。山梨2区選出で通商産業大臣や自由民主党総務会長を務めたベテランの堀内光雄は、小泉純一郎首相が成立に執念を燃やす郵政民営化法案の採決で反対票を投じ、自民党からの公認を得られず無所属での出馬を決めたためであった。山梨2区で、長崎は堀内に931票の僅差で敗れるが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選を果たした。
2006年12月、堀内光雄が自民党に復党(郵政造反組復党問題)。2008年6月、自民党は山梨2区で堀内光雄の公認を内定したため[1]、長崎は無所属で山梨2区から出馬する意向を表明する。これを受け、10月に長崎を支持する自民党山梨県連の党員66人が、山梨2区で堀内を公認した党本部の決定に反発し、集団で自民党を離党した[2]。
2009年7月、自民党に離党届を提出し、17日に離党が了承される[3]。麻生内閣への不信任決議案の採決の際は、欠席した。7月18日には、長崎を支持する山梨県内の地方議員ほか、415人にものぼる党員が集団で自民党を離党した[4]。8月11日、平沼グループに参加。無所属で第45回衆議院議員総選挙に山梨2区から出馬するが、得票数2位で落選した(当選者は民主党の坂口岳洋。堀内光雄も得票数3位で落選)。
2010年の第22回参議院議員通常選挙では、山梨県選挙区において自民党候補の支援を行った[5]。
2011年11月、自身のホームページにおいて、自民党復党の手続を取る考えを表明した[6]。なお、自民党は山梨2区には既に別の候補者の擁立を決定している。
所属団体・議員連盟
脚注・出典
- ^ “堀内氏、2区公認に内定 自民・次期衆院選 3区は小野氏 党、長崎氏処遇は留保”. 47ニュース. 2009年7月19日閲覧。
- ^ “自民党員の集団離党騒動 衆院山梨2区で復党組の公認内定に反発”. MSN産経ニュース. 2009年7月19日閲覧。
- ^ 自民・長崎氏が離党へ=山梨2区の非公認に反発 時事ドットコム・2009年7月13日
- ^ 離党届「実際は415人」自民県連 長崎氏支持者を批判 Yomiuri Online・2009年7月23日
- ^ 次期衆院選向け 長崎氏陣営始動
- ^ 地元の夢をカタチに! 長崎幸太郎オフィシャルサイト