野寺坊

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鳥山石燕画図百鬼夜行』より「野寺坊」

野寺坊(のでらぼう)は、鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』にある日本妖怪で、無人の荒れ寺に出る妖怪であるとされる。

『画図百鬼夜行』にはぼろぼろの袈裟を着た僧侶のような姿の妖怪が寺の鐘のそばに立った姿で描かれているが、石燕による解説が一切ないため、どのような性質をもつ妖怪を意図して描いたものかはよくわかっていない[1]

昭和以降の妖怪に関する書籍では、荒野の廃寺に現れる妖怪[2]、または村人の布施が無くて廃寺に追い込まれた住職の怨みが妖怪に化けて夕暮れ時の廃寺に現れ、無人の寺で寂しく寺の鐘を鳴らす[3]と解説されることが多い。

題材の考察[編集]

石燕が何を描いたものかが明確ではないことから、平成以降いくつかの仮説がみちびきだされており、まず第一に江戸時代破戒僧を風刺した石燕による創作ではないか[4]との指摘がある。金銭や愛欲による執心で破戒した僧侶が妖怪となったすがたを描いた絵画や説話は、近世に類型も多く認められ、石燕と時代の近い版本にも例はみられる[5]

漫画家水木しげるは自著の野寺坊の解説文に、子供のころ夕暮れの山中で寺もないのに鐘の音を耳にして、それを「野寺坊によるものだ」と教えられたが実際には山が入り組んでいるために音が反響し、山彦のような現象が起きたのだろう[6]と記している。

また、埼玉県新座市に「野寺」という地名があり、ある男が村の住民を脅かすつもりで、近在で有名な鐘を盗み出したところ旅人が通りかかり、あわてて池の中に身を隠し、その拍子に鐘も紛失してしまったとある。この池は鐘ヶ渕(かねがふち)と呼ばれており、ある小僧が住職に頼まれた用事を放って子供たちと遊び、これでは和尚に合わせる顔がないと悲観して池に入水して以来、毎晩のように池から泣き声が聞こえるともいわれている。石燕はこの野寺という地名や鐘ヶ淵などをモチーフにして野寺坊という妖怪を描いた[7]との説も挙げられている。

しかし、石燕が何に基づいて野寺坊を描いたかについては『画図百鬼夜行』全体に取り上げられている妖怪の傾向および、絵画に示されている情報量も少なすぎることもあって、いずれも決め手となるような題材の証拠は乏しい。

脚注[編集]

  1. ^ 村上健司編著『妖怪事典』毎日新聞社、2000年、265頁。ISBN 978-4-620-31428-0 
  2. ^ 稲田, 篤信、田中, 直日 編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』高田衛監修、国書刊行会、1992年、59頁。ISBN 978-4-336-03386-4 
  3. ^ 多田克己『幻想世界の住人たち』 IV、新紀元社Truth In Fantasy〉、1990年、370頁。ISBN 978-4-915146-44-2 
  4. ^ 多田克己『百鬼解読』講談社講談社文庫〉、2006年(原著1999年)、20頁。ISBN 978-4-06-275484-2 
  5. ^ 近藤瑞木編『百鬼繚乱 江戸怪談・妖怪絵本集成』国書刊行会、2002年、150-151頁。ISBN 978-4-336-04447-1 
  6. ^ 水木しげる『図説 日本妖怪大全』講談社〈講談社+α文庫〉、1994年、352頁。ISBN 978-4-06-256049-8 
  7. ^ 山口敏太郎 編『妖怪草子 怪し - 妖怪はそこにいる!』心泉社、2003年、67-68頁。ISBN 978-4-916109-51-4 

関連項目[編集]