道興

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道興(どうこう、永享2年(1430年) - 大永7年7月7日1527年8月3日[1][2])は、室町時代僧侶聖護院門跡

略歴

関白近衛房嗣在職 1445年 - 1447年)の子。兄弟に近衛教基近衛政家1465年寛正6年)に准三宮宣下を受ける。

幼少の頃から出家し、聖護院門跡となる。その後、園城寺の長吏、熊野三山、新熊野社の検校も兼ねた後に大僧正に任じられ、准后となった後は「道興准后」と称されるようになった。[3]

1486年文明18年)から翌1487年(文明19年)には聖護院末寺の掌握を目的に東国を廻国。1486年6月に京都を発つと、若狭国から越前国加賀国能登国越中国越後国の北国を経て、下総国上総国安房国相模国の関東を廻り、翌1487年5月には武蔵国から甲斐国を廻り、奥州まで至っている。道興は後に東国廻国を紀行文『廻国雑記』として著している。

脚注

  1. ^ 『華頂要略』第百四十三 諸門跡伝四、『読史備要』
  2. ^ 実隆公記』では文亀元年(1501年)9月24日死去とする。
  3. ^ [1]

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