進歩主義 (政治)

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政治における進歩主義(しんぽしゅぎ)とは、世代を重ねるごとに国家及び社会全体が抱える矛盾を高まる知識と道徳によって変革していくことにより理想に近い体制へと前進しようとする思想。

革新と混同される場合があるが、戦前日本の国粋主義から派生した革新概念とはルーツを異にしている。

解説

政治における進歩主義が発生したのは極めて遅く、17世紀以後のことである。それ以前における社会、例えば古代ギリシャでは歴史循環思想が採用され、原罪終末論に裏打ちされた中世西ヨーロッパ西方教会地域)では人間は堕落するものであり、政治においても古き良き法に還ることが求められていた。東洋儒教世界でも三皇五帝が理想視され、父祖へのを最も重視する観点から父祖が定めた決まり(国家であれば祖法、家庭であれば家風家訓)をそのまま維持し続けることが求められ、新たな物事によってより良くするという発想自体が異端とされていた。

ルネサンスや科学革命によって、人類が自然を克服させることに対する自信を高めた17世紀に入ると、その考え方が政治・社会に対しても向けられるようになる。すなわち、パスカルは知の蓄積によって「人類」という一生命体をより完全な存在へと近づけることが出来ると唱え、フランスで発生した啓蒙思想は技術の進歩と道徳の進歩は同じくすると言う考えから、封建思想アンシャン・レジームを旧時代の産物として激しく攻撃した。コンドルセの『人間精神の進歩と歴史像』はそれを体系化した著作と言える。19世紀に入ると、ドイツ観念論哲学が持つ合理主義思想やこれに批判的な社会主義思想にも影響を与え、更にダーウィンの進化論がこれに拍車をかけることになる。イマヌエル・カントコスモポリタニズムの実現を人類の理想と捉え、ヘーゲルは人類全体に自由意識が浸透することを進歩と捉えた。マルクスは進歩とはプロレタリアートが革命によって自らの力で勝ち取るものだとした。

20世紀に入ると世界的に進歩主義が広がりを見せ、自由民主主義人権擁護の実現を基準として進歩を図る目安とする考え方が広く浸透し、日本でも第二次世界大戦後にこうした風潮が強まった。この傾向は今日でも強く残されている。だが、その一方で進歩主義とヨーロッパの主たる宗教であるキリスト教の教義との矛盾は解決されることなく残され、更に20世紀における世界大戦や冷戦などの国際的な対立の深刻化、経済・社会の発展に伴う地球環境の悪化などによって、深刻な疑念や懐疑が寄せられるようになった(ポストモダンなど)。

参考文献

  • 猪口孝岡沢憲芙山本吉宣ステーヴン・リード)『政治学事典』弘文堂、 2000年-山脇直司「進歩」p537
  • (大学教育社編)『現代政治学事典』ブレーン社、 1998年-中野好之「進歩の観念」p497-498
  • 「アメリカ早分かり 14カ条の平和原則(1918年)」アメリカ大使館[1]