豊牛駅

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豊牛駅
とようし
Toyoushi
頓別仮乗降場 (4.3 km)
(3.3 km) 豊浜仮乗降場
所在地 北海道枝幸郡浜頓別町字豊寒別
北緯45度6分0.16秒 東経142度25分51.33秒 / 北緯45.1000444度 東経142.4309250度 / 45.1000444; 142.4309250
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 7.0 km(浜頓別起点)
電報略号 ヨウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
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1977年の豊牛駅と周囲約500m範囲。右下が北見枝幸方面。ホームが駅舎より北見枝幸側にずれて設置されている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

豊牛駅(とようしえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡浜頓別町字豊寒別にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号ヨウ事務管理コードは▲122001[2]

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

開業時の当地の地名は「浜頓別村字プタウス[3]」であったが、「豊牛」と命名された経緯について鉄道省・国鉄により以下の2説が示されている。

  • 鉄道省札幌鉄道局が発行した『駅名の起源』1939年(昭和14年)版では「附近に放牧多き為斯く名づけた[11]」として、和名であるとしている[11]
  • 国鉄北海道総局が1973年(昭和48年)に『駅名の起源』の後継として発行した『北海道 駅名の起源』では、当地が「豊寒別」と「プイタウシ」の中間にあり、「牛が豊かになるようにとの地元の要望[4]」から「豊寒別」から「豊」、「プイタウシ」から「ウシ」すなわち「牛」をとり、命名したとしている[4]

なお、『北海道 駅名の起源』において、「豊寒別」「プイタウシ」はそれぞれアイヌ語の「トイカムペッ(toy-kamu-pet)」(土・かぶさる・川)、「プイタウシ(pui-ta-usi)」(エゾノリュウキンカの根を・掘る・所)の意とされている[4][12]。しかし、このうち豊寒別についてアイヌ語研究者の山田秀三は「語義は分からない[13]」として、前述の説について「相当苦心をしてこの言葉を当てたものらしい[13]」としている。

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[10]分岐器を持たない棒線駅となっていた。

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、斜内駅と同型[14]マスプロ設計の小型駅舎となっていた[15]。1983年(昭和58年)時点では、屋根の配色は青であった[10]。駅舎内にトイレを有していた[15]。駅舎は構内の北東側に位置し、ホームから少し離れていた。

利用状況[編集]

乗車人員推移[16]
年度 1日平均人数
1951 73
1961 89
1965 111
1971 60
1981 5
1985 1

駅周辺[編集]

小さな漁村がある。海岸までは約0.2km[10]。駅裏は原野になっている[10]

駅跡[編集]

2010年(平成22年)時点では駅舎が残存しており、物置として利用されている[15]。以前は駅舎の内部にも入ることができたが、2012年(平成24年)時点では扉は開けることができず、ガラス越しにしか内部を確認することはできなくなっている。旧駅舎の周囲は、畑になっている[14]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
興浜北線
浜頓別駅 - <頓別仮乗降場> - 豊牛駅 - <豊浜仮乗降場> - 斜内駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、908頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ a b 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第199号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2850). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959331/4. 
  4. ^ a b c d e f 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、190頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 大蔵省印刷局, ed (1944-10-05). “運輸通信省告示 第483号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5319). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961821/4. 
  6. ^ 大蔵省印刷局, ed (1945-12-05). “運輸省告示 第175号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5670). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962175/1. 
  7. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  8. ^ 北海道鉄道百年史 下巻 日本国有鉄道北海道総局
  9. ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
  10. ^ a b c d e 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012 
  11. ^ a b 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、87頁。NDLJP:1029473 
  12. ^ アイヌ語地名リスト ツキサ~トヨコ P81-90P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月31日閲覧。
  13. ^ a b 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  14. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、226頁。ISBN 978-4894536128 
  15. ^ a b c 杉崎行恭『絶滅危惧駅舎』二見書房〈二見文庫〉、2010年6月、150頁。ISBN 978-4576100906 
  16. ^ 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010 
  17. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 

関連項目[編集]