谷村友一
谷村 友一(たにむら ともいち、1927年8月22日 - )は、日本のプロ野球審判員。所属はセントラル・リーグ。京都府出身(出生地はアメリカニューヨーク)。
来歴・人物
旧制同志社中学(現 同志社高校)~同志社大学から三菱商事を経て1959年セ・リーグ審判部入局。選手時代は内野手で甲子園出場は無いが、1952年に社会人野球チーム京都クラブで都市対抗野球出場。
大学卒業後、24歳から旧関西六大学野球と高校野球で審判員を務め、1955年から甲子園大会も担当。高校野球審判員として春夏合わせて合計8回甲子園出場を果たす。三菱商事に勤務しながらの実績であった。
1986年までプロ野球審判員を務め、通算3026試合出場。オールスターゲーム6回出場、日本シリーズ11回出場。1987年から1994年に退職するまでは専任指導員。転じた翌年にセ・リーグが袖番号を採用しているが、指導員であるため当時一番大きい番号である32をつけた。セ・リーグの指導員が袖番号を所有するのはこの先例があるためである(パ・リーグでは審判員が指導員に転じる際に袖番号を返上する慣習がある)。ちなみに現在32は原信一朗(2005年採用)がつけている。
引退までアウトサイドプロテクターを使用し続けたが、立ちながら構える。
現在はプロ野球マスターズリーグで審判員を務めている(最年長審判でもある)。
谷村審判員が立ち会った有名な試合
- 1958年 第40回記念夏の甲子園準々決勝第4試合、徳島商‐魚津(富山県)戦で3塁塁審。
- 1973年 甲子園球場での阪神-巨人最終戦で球審。(巨人がV9を達成した試合で、終了直後に暴徒と化した観衆がグラウンドに乱入したことでも知られる)。
- 1974年 中日が巨人のV10を阻止した中日球場での対大洋戦で球審。
- 1978年の日本シリーズ第7戦で2塁塁審。
- 1983年巨人対広島戦の浜松球場で松本匡史が盗塁セリーグ新記録の時球審。