西武田村

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にしたけだむら
西武田村
廃止日 1934年8月1日
廃止理由 編入合併
吉野村西武田村中郡宇村鹿児島市
現在の自治体 鹿児島市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 鹿児島県
鹿児島郡
市町村コード 廃止時制度なし
総人口 5,449
1915年
隣接自治体 鹿児島市、鹿児島郡伊敷村、中郡宇村、谷山町日置郡上伊集院村
西武田村役場
所在地 890
鹿児島県西武田村大字田上字蛭田129番地[1]
外部リンク なし
座標 北緯31度34分37.1秒 東経130度31分36秒 / 北緯31.576972度 東経130.52667度 / 31.576972; 130.52667

現在の鹿児島市域にあたる町村制施行当時の地図(西武田村は青色)
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西武田村(にしたけだむら)は、鹿児島県の中部、鹿児島郡に属していた1934年8月1日吉野村中郡宇村とともに鹿児島市へ編入。

村名は西ノ別府村、村、上村の頭文字を取り命名したことに由来している[1]

地理

鹿児島郡の中央部に位置していた。中央部には新川(田上川)が東西に流れ、流域の平野部に多くの集落があった。西武田村は西別府、武、田上の3大字から構成されており、現在の田上田上台広木西別府町の全域及び紫原の一部がそれらに当たる。

1911年の編出以前の村域には現在の天保山町が含まれており、編出前は大字武の飛地であった。

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、鹿児島郡鹿児島近在武村、田上村、西ノ別府村の区域より西武田村が成立する。
  • 1911年(明治44年) - 鹿児島市大字荒田より一部を大字田上に編入し、大字武の一部(飛地)を鹿児島市に編入。
  • 1934年(昭和9年)8月1日 - 鹿児島市へ編入。

人口

以下の人口遷移表は『西武田村誌』の35頁の記述より一部抜粋。1904年以降ほぼ横ばいに推移している。

1904年
5,479
1907年
5,523
1912年
5,394
1915年
5,449

地域

教育

交通

鉄道

脚注

  1. ^ a b 『西武田村誌』 - 田上尋常高等小学校 1915年7月4日発行

出典

関連項目