藤原為輔

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藤原 為輔
時代 平安時代中期
生誕 延喜20年(920年
死没 寛和2年8月26日986年10月2日
別名 甘露寺中納言、松崎帥、爲輔(正字)
官位 正三位権中納言
主君 朱雀天皇村上天皇冷泉天皇円融天皇一条天皇
氏族 藤原北家良門流勧修寺流
父母 父:藤原朝頼、母:藤原言行の娘
藤原守義の娘
惟孝説孝宣孝藤原佐理
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藤原 為輔(ふじわら の ためすけ)は平安時代中期の公卿右大臣藤原定方の孫で、左兵衛督藤原朝頼の長男。甘露寺中納言[1]または松崎帥[1]と号す。

経歴

天慶8年(945年蔵人雑色、蔵人として朱雀天皇に仕える。天慶9年(946年譲位後も院判官代として引き続き仕えながら、木工権助式部少丞を歴任。天暦2年(948年従五位下豊前権守に叙任された。

天暦4年(950年因幡守、天暦9年(955年)には尾張守と地方官を務め、従五位上に昇進。引き続き丹波守山城守大和権守と務め上げ、その功で従四位下まで昇る。康保4年(967年左京大夫を兼任し、安和2年(969年右中弁に任ぜられた後、左中弁右大弁と弁官を務めた。

天延3年11月(976年1月)参議に任ぜられて公卿に列す。貞元2年(977年正四位下に昇叙され、翌年には左大弁に進む。天元2年(979年紀伊権守勘解由長官、天元3年(980年美濃権守を歴任。天元4年(981年治部卿に遷り、永観2年(984年正三位に叙されている。永観3年(985年)には播磨権守に任ぜられた。

寛和2年(986年権中納言大宰権帥に任ぜられるが、同年8月26日に薨去した。享年67。

官歴

系譜

脚注

  1. ^ a b c 公卿補任
  2. ^ a b c 尊卑分脈