葉室頼昭
葉室 賴昭(はむろ よりあき、1927年(昭和2年)1月3日[1] - 2009年(平成21年)1月3日)は、日本の医師、神職。葉室家37代当主。
経歴
葉室家36代当主葉室直躬の長男として東京府に生まれた。葉室家は公家の藤原藤原北家勧修寺流(藤原為房の次男藤原顕隆が家祖)の流れを汲む伯爵家。学習院に初等科から高等科まで通った[2]。大阪大学医学部を卒業後、勤務医を経て、形成外科医院を開業した。診療を続けながら通信教育で神職資格を勉強し、神職の最高階位である明階を取得した[2]。神社庁の推薦を受けて平成4年(1992年)に東大阪市の枚岡神社の宮司に就任[2]。平成6年(1994年)8月、春日大社の宮司に就任した[2]。平成20年(2008年)3月、春日大社宮司を退任[2]。翌21年(2009年)1月3日、肺炎で死去。
経歴
- 1927年、東京都に生まれる。
- 1953年、大阪大学医学部を卒業。
- 1955年、大阪大学医学部助手に就任。
- 1958年、医学博士となる。
- 1963年、大野外科病院長就任[2]。
- 1968年、葉室形成外科病院を開業し、開業医となる[2]。
- 1991年、神職階位・明階を取得
- 1992年、枚岡神社宮司拝命。
- 1994年、春日大社宮司拝命。
- 1999年、階位・浄階、神職身分一級を授けられる。
- 2009年、82歳で死去[2]。
親族
父親の葉室直躬は鍋島直柔の三男。母親の千鶴子は葉室家35代当主葉室長通(万里小路通房次男)の娘。母方曽祖父の妹に明治天皇の側室葉室光子。弟の頼言は葉室家の分流である粟田口家の養子となり3代目当主。初代の粟田口定孝は葉室家の出で、北野神社・八坂神社・貴船神社・住吉大社の宮司。その娘の粟田口綾子は明治天皇の女官。
著作
- 『〈神道〉のこころ』春秋社、1997年
- 『神道と日本人』春秋社、1999年
- 『神道見えないものの力』春秋社、1999年
- 『神道〈いのち〉を伝える』春秋社、2000年
- 『神道感謝のこころ』春秋社、2000年
- 『にほんよいくに1 えとぶんではむろぐうじがこどもにかたる』冨山房インターナショナル、2001年
- 『神道〈徳〉に目覚める』春秋社、2001年
- 『神道夫婦のきずな』春秋社、2002年
- 『神道いきいきと生きる』春秋社、2002年
- 『心を癒し自然に生きる』春秋社、2003年
- 『御力』世界文化社、2004年
- 『大祓知恵のことば CDブック』春秋社、2004年
- 『神道と〈うつくしび〉』春秋社、2005年
- 『神道と〈ひらめき〉』春秋社、2006年
- 『神道〈はだ〉で知る』春秋社、2008年
- 『神道 おふくろの味』春秋社、2009年
脚註
参考文献
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《下巻》吉川弘文館、1996年。