細川利寛

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細川利寛
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 享保元年8月17日1716年10月2日
死没 明和4年9月24日1767年10月16日
改名 大次郎(幼名)→利寛
墓所 東京都品川区北品川の東海寺妙解院
官位 従五位下、采女正、若狭
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗家重家治
肥後新田藩
氏族 細川氏
父母 父:細川利方、母:えん(照林院、小林氏)
養父:細川利恭
正室房姫(清寿院、細川利恭の娘)
側室:及川氏、岸田氏
利業利意利致利庸戸川等之
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細川 利寛(ほそかわ としひろ)は、肥後新田藩の第4代藩主

生涯

享保元年(1716年)8月17日、第2代藩主・細川利昌の長男・利方の長男として生まれる。利方は病弱だったため家督を継げず、利方の弟・利恭が第3代藩主となった。しかし利恭の長男・利久が早世したため、享保11年(1726年)に利寛は利恭の娘婿になった。寛保2年(1742年)3月7日、利恭が隠居したため、跡を継いだ。幕府の朝鮮通信使の接待役などを務めている。

明和4年(1767年)9月24日に死去した。享年52。跡を三男の利致が継いだ。