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穆宗 (唐)

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穆宗 李恒
15皇帝
王朝
在位期間 820年 - 824年
姓・諱 李宥
李恒
諡号 睿聖文惠孝皇帝
廟号 穆宗
生年 795年貞元10年)
没年 824年長慶4年)
憲宗(第3子)
懿安郭皇后郭子儀の孫)
陵墓 光陵
年号 長慶 821年 - 824年
※諱は立太子時に改名

穆宗(ぼくそう)は唐朝の第15代皇帝

820年に父の憲宗が宦官王守澄によって殺害されると、その王守澄によって皇帝に擁立された。史書によれば主体性に欠け、享楽に耽る生活を送っていた。このため宦官による専横がこの穆宗の時代にさらに顕著化し、牛李の党争と呼ばれる官僚らの派閥闘争が激化した。自らの長命のために道士が勧めた金丹による中毒により、31歳にして崩御した。

宗室

后妃

  • 恭僖皇后王氏