石渡恒夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石渡 恒夫(いしわた つねお、1941年4月5日 - )は日本の実業家京浜急行電鉄社長、同社会長、日本民営鉄道協会会長、日本観光振興協会副会長等を務めた。旭日大綬章受章。

人物[編集]

神奈川県横須賀市出身。栄光学園中学校・高等学校を経て、1964年に一橋大学商学部を卒業し、京浜急行電鉄に入社。

1995年グループ会社の京急文庫タクシー社長に就任。同社で1996年から神奈川県初の高齢者身体障害者に対する二十四時間の緊急通報支援サービス「あんしんネットワーク」を、ホームネット株式会社と提携し、開始させた[1]

京浜急行電鉄本社では経理部長等を経て、常務取締役、代表取締役専務などを務め、グループ戦略の立案などを担当し、小谷昌社長体制を支えた。2004年6月陸運及び観光関係功労者関東運輸局長表彰[2]

2005年京浜急行電鉄社長就任。京浜急行電鉄社長就任後は、2005年にお台場のメリディアンホテル(後のホテル グランパシフィック LE DAIBA、現グランドニッコー東京 台場)を、鉄道事業以外の過去最大級の投資額400億円で買収するなどし、企業イメージ向上に努める[3]ほか、三浦半島横須賀市を中心に20年ぶりの大型宅地造成の再開や、若者層の集客を狙った葉山マリーナの買収、京急油壺マリンパーク地区再開発など、少子高齢化による沿線の就労就学人口の減少予測にともなう鉄道事業の先細り予測への対応として、鉄道事業中心からの脱却を進める[4]。一方、2009年にはホテル グランパシフィック LE DAIBAへのホテル事業の集中のため、ホテルパシフィック東京の2010年9月末での営業休止を決定した[5]

また、2006年には、2009年の羽田空港の再拡張及び国際空港化にともなう利用者増をにらみ、羽田空港へのアクセス増強のため、300億円をかけた京急蒲田駅の立体工事化や、京急空港線の運行本数増、国際ターミナル駅新設等の実施を決定した[6]

2008年に京急創立110周年記念イベントを京急川崎駅で開催、京浜電気鉄道51号形電車をイメージした塗装の記念列車「京急110年の歴史ギャラリー号」を豊岡真澄以下鉄道ファンなどが見守る中公開し、「関東大震災や太平洋戦争という厳しい時代を越えて、ここまできた。川崎をはじめとした、沿線の皆さんに応援していただいたからです。」とのあいさつを述べた。その後記念列車は1年間京急大師線を走行した[7]。2018年春の叙勲で旭日大綬章受章[8]

略歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本経済新聞1996/11/02
  2. ^ 日経産業新聞2005/01/27
  3. ^ 日本経済新聞2005/11/26
  4. ^ 日経産業新聞2005/08/23
  5. ^ 京急、「ホテルパシフィック東京」を2010年9月に営業休止 | 企業・経営:ニュース・解説 | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉2009年3月26日
  6. ^ 朝日新聞2006年11月22日、日経産業新聞2005/08/23
  7. ^ 朝日新聞2008年2月26日
  8. ^ 「春の叙勲 旭日大綬章に石原元東京海上日動社長ら」sankeiBIZ2018.4.30 アーカイブ 2022年9月11日 - ウェイバックマシン
  9. ^ 役員日本交通文化協会
  10. ^ 日観協、来年度から公益社団法人に観光経済新聞2012年6月16日
  11. ^ [1]日本経済新聞2017/4/22
  12. ^ 神奈川県経営者協会役員名簿


先代
小谷昌
京浜急行電鉄社長
2005年-2013年
次代
原田一之
先代
上條清文
日本民営鉄道協会会長
2011年-2013年
次代
坂井信也