汗国

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汗国(かんこく、ハンこく、Khanate)は、(カン、ハン)もしくは可汗(カガン、カアン、ハーン)を君主とする君主国を指す用語である。君主号としての「ハン」「ハーン」はモンゴル高原から中央アジアを中心とした、テュルク系およびモンゴル系遊牧民王朝でよく用いられたが、モンゴル帝国時代以降、キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)崩壊の影響を受けて、中央アジア以西のキプチャク草原ルーシカフカス(コーカサス)などの地域にも広がった。

概要

君主号としての汗

カン(カガン)称号の最古の用例は4世紀半ばの北魏の碑文にみられる「可寒」が初見であり、5世紀始めに柔然が君主の称号として初めて採用した。以後、モンゴル高原の諸部族などで使用された。

モンゴルのウルス

チンギス・カンが率いるモンゴル帝国が勃興すると、第2代カンのオゴデイは他のカンから卓越した存在として「カアン(ハーン)」(もしくは大ハーン)を称することになる。しかし広大すぎた版図をまとめることは難しく、朝を盟主とする緩やかな連合として4つのハン国に分裂した。なお、現在ではこの「元と4ハン国の分裂」という理解は、実情を反映したものとはいえないとして、大元ウルス、フレグ・ウルス、ジョチ・ウルス、チャガタイ・ウルスなど「ウルス」(モンゴル語で「人々」「国家」の意)と呼ばれることも多い。

モンゴル帝国以後

分裂しおのおの独自の発展を遂げたウルスも14世紀には衰退し、それぞれ滅亡の道を歩む。しかし、ハンを君主とする伝統は、その後もテュルク系・モンゴル族系の遊牧民継承国家に受け継がれた例が多い。特にロシアを地盤としたキプチャク・ハン国(黄金のオルド)崩壊後の後継国家に著しい(なお、ロシア側からはモンゴル支配を「タタールのくびき」と呼ぶ)。また、中央アジアからモンゴルの故地においては、大ハーンの位はチンギス・ハンの血統(ボルジギン氏)を受け継いだ人間のみが就くことができるという、チンギス統原理の観念が共有された。ただし、例外としてチンギスの血統を受けていないオイラトエセン・ハーンなどの例もある。

各地において建国されたハン国は、ロシア帝国やイスラム諸王朝に吸収されていったが、遅くは20世紀まで存続した(ヒヴァ・ハン国など)。

主なハン国

モンゴル以前

モンゴル以前は可汗(カガン)を奉戴する国家、すなわち可汗国が存在した。

可汗国
汗国

モンゴル帝国時代

中央アジア以東のハン国

キプチャク・ハン国の後継王朝

カフカス・中央アジアのハン国

ルーシ

関連項目