シビル・ハン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
シビル・ハン国
Khanate of Sibir
ジョチ・ウルス 1490年代 - 1598年 ロシア・ツァーリ国
シビル・ハン国の位置
シビル・ハン国の位置
公用語 シベリア・タタール語ロシア語版
ハンティ語
マンシ語
ネネツ語
セルクプ語英語版
首都 チンギ・トゥラ英語版
(1493年まで) 
カシリク(1493年以降)
ハーン
1490 - - タイブカ英語版
1563 - 1598 クチュム・ハン英語版
変遷
建国 1490年代
ロシアによる併合 1598

シビル・ハン国(シビル・ハンこく)は、15世紀から16世紀末まで西シベリアに存在した、ジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)の系統に属すテュルク系国家。ジョチ・ウルスが分裂して、成立した4つの国のうちの一つ(ほかにカザン・ハン国アストラハン・ハン国クリミア・ハン国)。

呼称[編集]

シビル・ハン国の名は、チンギス・カンの長男ジョチの第5子シバン英語版(昔班, Shiban/Shayban)の一族シャイバーニー家に由来する。「シベリア」の地域名は、シビル・ハン国の名に由来する。チュメニトボリスクなど、今日の西シベリアドイツ語版の多くの都市が、シビル・ハン国の時代に西シベリア平原に建設された。

歴史[編集]

1440年代ジョチ・ウルスが分裂して、トゥラ川河口のチンギ・トゥラ英語版(テュメン、現在のチュメニ付近)を根拠地としたケレイト部族のタイブカ英語版が同地に政権を樹立したことにはじまる。

ジョチの五男・シバンの末裔(シャイバーニー家)であるマフムーダク・ハンの息子でテュメン・ハン家の祖、イバク・ハン英語版1468年 - 1495年)がタイブカ家と婚姻関係を結び、ハーンを継いだ。西シベリアにイスラームを持ち込んだといわれている。イルティシ川沿いのカシリク(Kashlik、イスケル Isker、またはシビル Sibir。今日のトボリスクの付近)を首都とし、オビ川イルティシ川とその支流の流域を支配し、黒テンなどの毛皮の取引を営んだ。

滅亡[編集]

16世紀後半には東方への拡大を目指すロシア・ツァーリ国と衝突した。1582年、ツァーリ国の援助を受けたイェルマークに率いられたコサック軍が首都を一時的に占領した(チュヴァシ岬の戦い英語版)。その後も最後の君主クチュム・ハン英語版が抵抗を続け、1585年にイェルマークを戦死させるも、ロシアの攻撃は続き、1598年に滅亡した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]