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比良 (砲艦)

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比良
艦歴
計画 1920年度
起工 1921年8月15日(日本)
1922年4月17日(漢口、工事着手)
進水 1923年3月24日(漢口)
就役 1923年8月24日
除籍 1945年9月30日
性能諸元(竣工時)
排水量 基準:330t 常備:338t 公試:383t
全長 56.08m
全幅 8.23m
吃水 1.02m (公試平均)
主缶 ロ号艦本式混焼缶2基
主機 直立2段膨張レシプロ2基2軸 2,100hp
速力 16.0kt
航続距離 1,750NM / 10.0kt
(石炭20t 重油74t)
乗員 62名
兵装 40口径8cm単装高角砲2門
留式7.7mm機銃6挺

比良(ひら)は、日本海軍砲艦勢多型砲艦の2番艦である。艦名は「近江八景」の一つ「比良の暮雪」で知られる景勝地「比良山地」にちなんで名づけられた。

艦歴

三菱神戸造船所において完成、それを解体し漢口に輸送、揚子江機器有限公司で組立てを行い、1923年8月24日に竣工、二等砲艦に類別された。

1931年6月1日、砲艦に類別変更。翌年の上海事変において、上海や長江方面の警備に従事した。日中戦争において、上海陸上作戦の支援、長江遡行作戦に加わった。太平洋戦争においては、長江流域の警備に従事した。1944年10月1日に軍艦から除かれ艦艇の砲艦に類別が変更された。

1944年11月26日、安慶で中国軍機の爆撃を受け大破し、そのまま終戦を迎えた。1945年9月30日に除籍された。

艦長

  • 小林仁 少佐:1923年12月1日 - 1925年1月6日

同型艦

参考資料

関連項目