楽焼
楽焼(らくやき)
楽焼(らくやき)は、一般的に電動轆轤や足で蹴って回す蹴轆轤(けろくろ)を使用せず手とへらだけで成形する「手捏ね」(てづくね)と呼ばれる方法で成形した後、750℃~1,100℃で焼成した軟質施釉陶器である。また、楽茶碗などとも呼ばれる。狭義には樂家の歴代当主が作製した作品や樂家の手法を得た金沢の大樋焼や京都の玉水焼などが含まれる。広義には同様の手法を用いて作製した陶磁器全体を指す。
千利休らの嗜好を反映した、歪んで厚みのある形状が特徴である。 茶碗や花入、水指、香炉など茶道具として使用される。
歴史
天正年間(16世紀後半)、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いた「聚楽焼」(じゅらくやき)が始まりとされる。 二代目・常慶の父、田中宗慶が豊臣秀吉より聚楽第からとった樂の印章を賜り、これを用いるとともに家号にしたことから楽焼となった、との説が広く知られる。 正統な楽家の楽焼を本窯、傍流の楽焼を脇窯という。
特徴
黒楽
初期の製法としては、素焼き後に加茂川黒石からつくられた鉄釉をかけて陰干し、乾いたらまた釉薬をかけるといったことを十数回繰り返してから1000℃程度で焼成する。焼成中に釉薬が溶けたところを見計らって窯から引き出し急冷することで、黒く変色する。これは美濃焼と共通する手法である。 天正9年(1581年)~同14年(1586年)頃に長次郎によって黒楽茶碗が焼かれたのが始まりである。
赤楽
赤土を素焼きし、透明の釉薬をかけて800℃程度で焼成する。樂家と関わりの深い本阿弥光悦や、樂道入の作品などが有名である。
関連項目
参考文献
- 佐々木達夫著『日本史小百科 29 陶磁』近藤出版社、1991年8月
- 三井記念美術館編『赤と黒の芸術楽茶碗』三井記念美術館、2006年9月