楊威
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愛称 | 体操王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1980年2月8日(44歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 |
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身長 | 157cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 55kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 体操競技 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2009年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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楊威 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 楊 威 |
簡体字: | 杨 威 |
拼音: | Yáng Wēi |
楊 威(よう い/ヤン・ウェイ、1980年2月8日-)は、中華人民共和国の元男子体操選手。湖北省出身。中国国内でのニックネームは「体操王」。
略歴
5歳から体操を始め、16歳で中国代表に選ばれる。2000年のシドニーオリンピックでは団体総合で金メダル、個人総合で銀メダルを獲得した。2004年、金メダルの期待を背負って出場したアテネオリンピックではまさかの不振でメダルを獲得できず、もう体操をやめようとも考えたが、その悔しさをバネに2006年の世界選手権オーフス大会では団体総合、個人総合、平行棒の3種目で金メダルを獲得した。
2008年、地元開催となった北京オリンピックでは団体総合、個人総合の両種目で金メダルを獲得した。2009年5月7日に現役引退を表明。
同世代の冨田洋之等と同じオールラウンダーだが、技の難度(演技価値点)では冨田や他の選手を大きく凌ぐ。
2008年5月の四川大地震の際には、被災した四川省に寄付するため、つり輪で獲得した銀メダルをオークションに出品した。
主な成績
- 1999年 世界選手権天津大会団体総合 金、鉄棒 銅
- 2000年 シドニーオリンピック団体総合 金、個人総合 銀
- 2002年 世界選手権デブレツェン大会跳馬 銅
- 2002年 釜山アジア競技大会団体総合 金、個人総合 金
- 2003年 世界選手権アナハイム大会団体総合 金、個人総合 銀
- 2004年 アテネオリンピック団体総合 5位、個人総合 7位
- 2006年 世界選手権オーフス大会団体総合 金、個人総合 金、平行棒 金
- 2006年 ドーハアジア競技大会団体総合 金、個人総合 金、平行棒 金
- 2007年 世界選手権シュトゥットガルト大会団体総合 金、個人総合 金(ユーゴスラビアのペテル・シュミ以来81年ぶりの世界選手権での個人総合の連覇)
- 2008年 北京オリンピック団体総合 金、個人総合 金、つり輪 銀
参考
先代 2004年 ポール・ハム |
オリンピック体操競技 男子個人総合優勝 2008年 |
次代 - |
先代 2005年 冨田洋之 |
世界体操競技選手権 男子個人総合優勝 2006年/2007年 (二連覇) |
次代 2009年/2010年 内村航平 |