栖賢寺

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栖賢寺
所在地 京都府京都市左京区上高野水車町22
位置 北緯35度3分52.2秒 東経135度48分3.8秒 / 北緯35.064500度 東経135.801056度 / 35.064500; 135.801056
山号 朝崇山
宗派 臨済宗大徳寺派
本尊 弥勒菩薩
創建年 康永年間(1342年~1345年)
開基 竺堂
法人番号 6130005001231 ウィキデータを編集
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栖賢寺(せいけんじ)は京都市左京区上高野にある臨済宗仏教寺院

歴史[編集]

  • 摂津名所図会』に「尼崎寺町にあり。禅院十刹のその一なり。秀吉公山崎合戦の時、勝利ありて、諸侯を饗したまふ所なり。腰掛松 当寺にあり。秀吉公、この松に腰をかけられて、山崎合戦の軍令を定めたまふ古跡なり」とある摂津国の禅院十刹の一つ。
  • 『尼崎志』には康永年間(1342~1345)竺堂開基、のち兵火に衰退するが廣徳寺とともに笑嶺宗訢中興とある。また、栖賢寺は本寺大徳寺と同じく赤松氏の建立になるものとしている。中世には大物町にあったが、近世になって尼崎城築城にともない元和年間(1615年~1624年)に寺町に移転。
  • 昭和7年(1932年)に兵庫県尼崎市寺町から京都市左京区の現在地に移転再建された。

堂宇に本堂・金鳳閣・如意輪堂・隠寮・庫裏・土蔵・鐘楼等。梵鐘「千人鐘」は昭和6年(1931年)鋳造の千百余人の結縁合力による。

文化財[編集]

交通[編集]

出典[編集]

  • 秋里籬島 『摂津名所図会』 (1796-1798)全国書誌番号:47005523
  • 尼崎市編纂 『尼崎志』 (1930)全国書誌番号:46076521
  • 藤本弘三郎編 『日本社寺大観 寺院編』(1933)全国書誌番号:470147021