木村正明

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木村 正明(きむら まさあき、1968年9月17日)は、日本の経営者。岡山県岡山市出身。日本プロサッカーリーグ専務理事[1]Jリーグファジアーノ岡山の運営法人であるファジアーノ岡山スポーツクラブの前代表取締役。

来歴

岡山大学教育学部附属小学校・中学校、 岡山県立岡山朝日高校、東京大学法学部を卒業して1993年ゴールドマンサックスに入社。

2002年、同社債券営業部長、2003年、同社マネージングディレクター(執行役員)就任。

2005年、当時NPO法人だったファジアーノ岡山の専務理事(現同クラブ取締役)を務めていた小学中学時代の友人・森健太郎(岡山学芸館高校・清秀中学校理事長)から寄付の依頼を受けたことで、ファジアーノとの交流が生まれる[2]。2006年7月、負債を抱えたNPOの清算と共に、クラブを株式会社化し、代表取締役に就任。[2]

木村が社長に就任した当時のファジアーノは、資本金500万円に対し負債が1000万円超、スポンサーはわずか6社で、年間予算はわずか400万円(同年の営業活動により、最終的に1200万円)という、プロクラブとしての体をなしていない経営状況だった。営業努力により就任翌年の2007年にはスポンサーを200社、年間収入を9000万円にまで上げ、地域リーグ所属(当時)としては初のJリーグ準加盟を果たす。更にJFLへ昇格した2008年には、スポンサーを260社、年間予算を2億3000万にまで増額。この年JFLで4位となり、社長就任からわずか3年でのJリーグ加盟を果たすとともに、収支も初めて黒字に届かせた。

2018年2月、3月26日付でファジアーノ岡山の代表取締役を退任し、翌27日付で日本プロサッカーリーグの専務理事に就任すると発表された[3]

エピソードなど

小学生時代は野球、中学から大学まではサッカー部に所属。ゴールドマンサックス入社後も東京大学サッカー部OBチーム「チームDiego(後の東大LB(2代目)、現:東京ユナイテッドFC +Plus)」で、ファジアーノ社長就任により退社する37歳までプレーを続けていた[4]。ポジションはフォワード。

ファジアーノ創設の原動力は小学生の時、広島であったリトルリーグの試合で、負けた広島のチームの子供たちの「今からカープの試合じゃ!」といった言葉。なぜ岡山にプロ野球チームがないのか、広島カープがうらやましいという思いであるという[5]

参考文献

注釈

  1. ^ 理事・監事、特任理事内定の件 - 日本プロサッカーリーグ:プレスリリース(2018年2月27日付)
  2. ^ a b 菊池徳行(アメイジングニッポン) (2008年11月20日). “第77回 株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ 木村正明”. ドリームゲート. 2018年9月1日閲覧。
  3. ^ "ファジアーノ岡山 役員人事について" (Press release). ファジアーノ岡山FC. 27 February 2018. 2018年2月28日閲覧
  4. ^ 藤江直人 (2018年3月31日). “岡山社長からJ専務理事へ。木村正明に燻り続けた「悔い」の正体、歩んできた激動の半生”. フットボールチャンネル. 2018年9月1日閲覧。
  5. ^ 「百年旅行~明日へ紡ぐメッセージ~」BS日テレ 2009年2月13日放送
    【ファジアーノ岡山:Jリーグ入会おめでとう!】Jリーグ入会記者会見での木村正明社長コメント
    日本経済新聞、夕刊連載(岡山に愛を込めて)2008年11月10日~11月14日。