拝田古墳群

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拝田古墳群の位置(京都府内)
拝田古墳群
拝田古墳群
拝田古墳群の位置

拝田古墳群(はいだこふんぐん)は、京都府亀岡市拝田にある古墳群。史跡指定はされていない。

概要

16号墳 石室
中央上に石棚を有する。
16号墳 石室俯瞰図

京都府中部、亀岡盆地北西部の丘陵南斜面に営造された古墳群である[1]前方後円墳1基(16号墳)・前方後方墳1基(14号墳:推定[2])・円墳15基の計17基から構成される[1]1977-1979年昭和52-54年)に京都縦貫自動車道建設に伴う8-10号墳の発掘調査が[3]2021年度(令和3年度)に14号墳のトレンチ発掘調査が実施されている[2]

古墳群は山腹の1-9号墳、丘陵稜線部の10-12号墳、丘陵端部から平地の13-17号墳の3グループに分かれる[1]。そのうち10号墳・16号墳は亀岡盆地においても有力な古墳になるほか、9号墳の石室に石障が、16号墳の石室に石棚が見られる点で特色を示す[1]。亀岡盆地では石棚付石室を有する古墳として拝田16号墳含む7基が知られるが、これは和歌山県紀の川下流域(岩橋千塚古墳群など)に次ぐ集中的な分布として注目され、岩橋千塚古墳群を営んだ紀氏との関連性を指摘する説がある[4]

なお、これまでは後期古墳群とされてきたが、2021年度(令和3年度)の14号墳の調査では前期末の埴輪が検出されるとともに、地形から前方後方墳の可能性が浮上している[2]

一覧

拝田古墳群の一覧[1][2]
古墳名 形状 規模 埋葬施設 主な出土品 築造時期 備考
1号墳 円墳
2号墳 円墳
3号墳 円墳
4号墳 円墳
5号墳 円墳
6号墳 円墳
7号墳 円墳
8号墳 円墳 直径11-12m 両袖式横穴式石室 玄室:須恵器7、鉄鏃5
羨道:須恵器1、鉄鏃1
6世紀末-7世紀前半
9号墳 円墳 直径8m 横穴式石室 石障内:須恵器5、鉄鏃2
石障外:須恵器14、鉄鏃30
6世紀前半-中葉 石障付石室
10号墳 円墳 南北22m
東西25m
木棺直葬
割竹形木棺か)
棺内:人骨、内行花文鏡1、
鹿角装鉄剣1、鉄刀1、
鹿角装刀子2、刀子1、
鉄釘3、勾玉・小玉・臼玉類
棺外:鉄剣1、鉄鏃10数
5世紀後半-6世紀初頭
11号墳 円墳
12号墳 円墳
13号墳 円墳
14号墳 前方後方墳? 墳丘長40m? 埴輪 前期末
15号墳 円墳
16号墳 前方後円墳 墳丘長44m
後円部直径30m
後円部高さ6m
前方部幅23m
前方部高さ5m
両袖式横穴式石室 6世紀前半 石棚付石室
17号墳 円墳

脚注

  1. ^ a b c d e 新修亀岡市史 資料編 第1巻 2000, pp. 150–155.
  2. ^ a b c d 京都府埋蔵文化財調査報告書 令和3年度 2022.
  3. ^ 拝田古墳群(平凡社) 1981.
  4. ^ 『新修亀岡市史 本文編 第1巻』 亀岡市、1995年、pp. 259-260。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 地方自治体発行
    • 「拝田古墳群」『新修亀岡市史 資料編 第1巻』亀岡市、2000年、150-155頁。 
    • 「西加舎遺跡第5次調査・千代川遺跡第34次調査・拝田14号墳第1次調査」『京都府埋蔵文化財調査報告書 令和3年度』京都府教育委員会、2022年。  - リンクは奈良文化財研究所「全国遺跡報告総覧」。
  • 事典類
    • 「拝田古墳群」『日本歴史地名大系 26 京都府の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490263 
    • 佐藤晃一「拝田16号墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 「国道9号バイパス関係遺跡」『埋蔵文化財発掘調査概報』京都府教育委員会、1976年。 
  • 「国道9号バイパス関係遺跡」『埋蔵文化財発掘調査概報』京都府教育委員会、1978年。 
  • 「国道9号バイパス関係遺跡」『埋蔵文化財発掘調査概報』京都府教育委員会、1979年。 

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、拝田古墳群に関するカテゴリがあります。