愛宕 (砲艦)

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愛宕
艦歴
発注: 1883年度計画
起工: 1886年7月17日
進水 1887年6月18日
就役 1889年3月2日
その後 1904年11月6日座礁沈没
除籍 1905年6月15日
性能諸元
排水量 常備:614t
全長 垂線間長:47.0m
全幅 8.20m
吃水 2.95m
機関 2軸レシプロエンジン2基、丸罐2
950馬力
燃料 石炭60t
最大速 11.0kt
兵員 104名
兵装 21cm砲1基
12cm砲1基
その他1基

愛宕(あたご)は、日本海軍砲艦摩耶型の3番艦である。艦名は京都府愛宕山にちなんで命名された。

概要

横須賀造船所1889年3月2日に竣工、1890年8月23日に第一種と定められる。船体構造は鋼骨鉄皮であった。

日清戦争では旅順大連威海衛攻略作戦等に参加。1898年3月21日、二等砲艦に類別。北清事変では1900年6月から10月にかけて活動した。

日露戦争では、旅順攻略作戦に参加。1904年10月6日、哨区に向かう途中で北隍城島南隍城島の間で座礁し沈没[1]。乗員は駆逐艦薄雲により救助された[1]

艦長

同型艦

脚注

  1. ^ a b 日露旅順海戦史、234ページ

参考文献

関連項目