愛宕 (東京都港区)
愛宕(あたご)は、東京都港区の地名。現行行政地名は愛宕一丁目および同二丁目(住居表示実施済み区域)。当地域の人口は、295人(2009年(平成21年)4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。かつては芝愛宕町、芝愛宕下町等の町名が存在し、現行の愛宕一・二丁目よりも広い地域を指していた。
概要
町域内の大部分を愛宕山が占めている。愛宕山と東京都道301号白山祝田田町線(愛宕下通り)に挟まれた低地は住宅密集地となっていたが、現在では再開発が行われ愛宕グリーンヒルズなどとなっている。
当地域の詳細については愛宕山の項も参照のこと。
歴史
江戸時代には愛宕山を中心として、北端の武家地を除きほとんどが寺院で占められていた。北から順に真福寺・長久院・真養院・玉蔵院・薬師寺・鏡照院・満蔵院・寿桂院・普賢院・金剛院、愛宕山参道を跨いで円福寺・吟窓(宗)院・考寿(光樹)院・伝叟(宗)院・清岸院と微小な寺院が櫛比し、そして青松寺・青龍寺と続いた。この内真福寺・青松寺・青龍寺は現存し、考寿院・清岸院・伝叟院は愛宕内で移転存続している。また、表通りを愛宕下広小路、北の通りを鎧小路、南の通りを切通と呼んだ。
- 1870年(明治3年)5月 - 愛宕山周辺の武家地・寺社地に芝愛宕町が起立される。
- 1872年(明治5年) - 芝愛宕町に周辺の武家地・寺社地をあわせ、芝愛宕町一 - 三丁目となる。また、愛宕下通りを挟んで隣接する武家地が新たに芝愛宕下町一 - 四丁目となる。
- 1878年(明治11年) - 芝区の成立に伴い、芝愛宕町と芝愛宕下町は芝区の所属となる。
- 1911年(明治44年)5月1日 - 町名より「芝」の冠称が省かれ、それぞれ愛宕町・愛宕下町となる。
- 1932年(昭和7年) - 関東大震災後の復興に伴う区画整理が実施され、愛宕町二丁目の一部と愛宕町三丁目は田村町に編入される。また、愛宕下町は四丁目のごく一部を除いて新橋に編入される。
- 1947年(昭和22年) - 芝区が赤坂区・麻布区と合併して新たに港区が成立する。それに伴い町名に再び「芝」の冠称がつき、それぞれ東京都港区芝愛宕町・芝愛宕下町となる。
- 1965年(昭和40年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝愛宕町二丁目の残余が西新橋となる。
- 1972年(昭和47年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝愛宕下町四丁目の残余が芝大門となる。
- 1978年(昭和53年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝愛宕町一丁目と芝西久保広町の一部が現行の愛宕一・二丁目となる。
住居表示実施前後の町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
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愛宕一丁目 | 1978年(昭和53年)1月1日 | 芝愛宕町一丁目 |
愛宕二丁目 | 芝愛宕町一丁目、芝西久保広町 | |
西新橋三丁目 | 1965年(昭和40年)7月1日 | 芝愛宕町二丁目など(詳しくは西新橋の項を参照のこと) |
芝大門一丁目 | 1972年(昭和47年)1月1日 | 芝愛宕下町四丁目など(詳しくは芝大門の項を参照のこと) |
地区内の施設・名所
- 愛宕一丁目
- 愛宕二丁目