愛宕 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Aiaiaiaiaia (会話 | 投稿記録) による 2012年2月28日 (火) 02:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎歴史)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

日本 > 東京都 > 港区 > 愛宕

愛宕(あたご)は、東京都港区の地名。現行行政地名は愛宕一丁目および同二丁目(住居表示実施済み区域)。当地域の人口は、295人(2009年(平成21年)4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。かつては芝愛宕町、芝愛宕下町等の町名が存在し、現行の愛宕一・二丁目よりも広い地域を指していた。

概要

町域内の大部分を愛宕山が占めている。愛宕山と東京都道301号白山祝田田町線(愛宕下通り)に挟まれた低地は住宅密集地となっていたが、現在では再開発が行われ愛宕グリーンヒルズなどとなっている。

当地域の詳細については愛宕山の項も参照のこと。

歴史

江戸時代には愛宕山を中心として、北端の武家地を除きほとんどが寺院で占められていた。北から順に真福寺・長久院・真養院・玉蔵院・薬師寺・鏡照院・満蔵院・寿桂院・普賢院・金剛院、愛宕山参道を跨いで円福寺・吟窓(宗)院・考寿(光樹)院・伝叟(宗)院・清岸院と微小な寺院が櫛比し、そして青松寺・青龍寺と続いた。この内真福寺・青松寺・青龍寺は現存し、考寿院・清岸院・伝叟院は愛宕内で移転存続している。また、表通りを愛宕下広小路、北の通りを鎧小路、南の通りを切通と呼んだ。

  • 1870年明治3年)5月 - 愛宕山周辺の武家地・寺社地に芝愛宕町が起立される。
  • 1872年(明治5年) - 芝愛宕町に周辺の武家地・寺社地をあわせ、芝愛宕町一 - 三丁目となる。また、愛宕下通りを挟んで隣接する武家地が新たに芝愛宕下町一 - 四丁目となる。
  • 1878年(明治11年) - 芝区の成立に伴い、芝愛宕町と芝愛宕下町は芝区の所属となる。
  • 1911年(明治44年)5月1日 - 町名より「芝」の冠称が省かれ、それぞれ愛宕町・愛宕下町となる。
  • 1932年昭和7年) - 関東大震災後の復興に伴う区画整理が実施され、愛宕町二丁目の一部と愛宕町三丁目は田村町に編入される。また、愛宕下町は四丁目のごく一部を除いて新橋に編入される。
  • 1947年(昭和22年) - 芝区が赤坂区麻布区と合併して新たに港区が成立する。それに伴い町名に再び「芝」の冠称がつき、それぞれ東京都港区芝愛宕町・芝愛宕下町となる。
  • 1965年(昭和40年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝愛宕町二丁目の残余が西新橋となる。
  • 1972年(昭和47年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝愛宕下町四丁目の残余が芝大門となる。
  • 1978年(昭和53年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝愛宕町一丁目と芝西久保広町の一部が現行の愛宕一・二丁目となる。

住居表示実施前後の町名の変遷

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
愛宕一丁目 1978年昭和53年)1月1日 芝愛宕町一丁目
愛宕二丁目 芝愛宕町一丁目、芝西久保広町
西新橋三丁目 1965年(昭和40年)7月1日 芝愛宕町二丁目など(詳しくは西新橋の項を参照のこと)
芝大門一丁目 1972年(昭和47年)1月1日 芝愛宕下町四丁目など(詳しくは芝大門の項を参照のこと)

地区内の施設・名所

愛宕一丁目
愛宕二丁目

交通

ギャラリー

Template:港区 (東京都)の町名