山根佐由里

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山根佐百合
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 三重県度会町
生年月日 (1990-01-24) 1990年1月24日(34歳)
身長
体重
165 cm
⁇ kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年
初出場 2008年
最終出場 2017年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム
  • 2007 第8回 世界女子ジュニアソフトボール選手権
  • 2009 第4回 USワールドカップ
  • 2009 第4回 アジア女子ジュニア選手権
  • 2010 Australia v Japan Test Series
  • 2010 世界選手権
  • 2010 第5回 USワールドカップ
  • 2010 第7回 ジャパンカップ
  • 2010 アジア競技大会
  • 2011 カナディアオープン
  • 2013 第2回 東アジアカップ
  • 2014 第9回 ワールドカップ
  • 2014 カナディアオープン
  • 2014 大垣国際カップ
  • 2014 世界選手権
  • 2014 第17回 アジア競技大会
  • 2015 ジャパンカップ
  • 2016 Down Under Series(オーバーエイジ)
  • 2016 日米対抗
  • 2016 第11回 ワールドカップ
  • 2016 世界選手権
  • 2016 ジャパンカップ
  • 山根 佐由里(やまね さゆり、1990年1月24日 - )は、三重県度会町出身[1]日本の元ソフトボール選手(投手[2]。右投右打[2]女子ソフトボール日本代表(2010年、2014年、2016年)[2]

    投球スタイルが田中将大に似ていることから『女マー君』の異名もとった[3][4]

    経歴

    父と3つ上の姉のと一家がソフトボール愛好一家の影響で、小学4年生の時に中川スポーツ少年団に入団する。小学6年生の時に第15回全日本小学生大会に出場も、1回戦でホワイトビッキーズに敗れる[5][要出典]

    度会町立度会中学校ではソフトボール部に所属し、第25回全国中学校大会に出場するも、登板機会は無く、チームも敗れた。1つ上にHONDAでプレーする西岡里恵がいた。その翌年にNTS選手発掘・育成・強化プログラム)に東海選抜で参加する。東海選抜には渥美万奈がいた。国体は準優勝。[要出典]

    スポーツが盛んな宇治山田商業に進学し[2]高校3年進級前に右膝前十時靱帯断裂の大怪我を負う[3]。手術せずに完治を待つも、チームはインターハイ県予選決勝で敗退している。[要出典]

    卒業後はレオパレス21へ入社[2]。1年目から新人賞を獲得し[6]2010年トヨタ自動車へ移籍、2011年から2015年まで公式戦42連勝、2014年には最優秀投手、ベストナインに選ばれるも、2017年に現役引退[2]

    日本リーグ通算記録、126試合出場、61勝9敗、防御率1.36[6]

    脚注

    1. ^ 山根佐由里さんに功労表彰 広報わたらい2015年2月号
    2. ^ a b c d e f “東京五輪ソフト、明日開幕! 元日本代表・山根佐由里が解説”. BBM Sports. (2021年7月20日). https://www.bbm-japan.com/article/detail/22042 2021年7月24日閲覧。 
    3. ^ a b 丸山剛史 (2016年9月3日). “女子ソフトボール代表のエース “女マー君”山根佐由里を直撃”. 日刊SPA!. 2021年7月25日閲覧。
    4. ^ トヨタ自動車の“女マー君”22連勝中も記録より優勝 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ”. スポニチ Sponichi Annex. 2021年9月17日閲覧。
    5. ^ 【ソフトボール】 さゆ先生のピッチングクリニック(2) | BBMスポーツ | ベースボール・マガジン社”. www.bbm-japan.com. 2021年7月25日閲覧。
    6. ^ a b 選手記録 山根佐由里| 日本女子ソフトボール機構ホームページ 2021年7月24日閲覧

    外部リンク