屏東市
別称: 阿猴・雅猴・太陽城 | |
地理 | |
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座標: | 北緯22度40分34秒 東経120度29分39秒 / 北緯22.67611度 東経120.49417度 |
面積: | 65.067 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 屏東 |
日本語読み: | へいとう |
拼音: | Píngdōng |
通用拼音: | Píngyūng |
ウェード式: | P'ing-tung |
注音符号: | ㄆㄧㄣˊ ㄉㄨㄥ |
片仮名転写: | ピンドン |
台湾語: | Pîn-tong |
客家語: | Phìn-tûng |
行政 | |
行政区分: | 県轄市 |
上位行政区画: | 屏東県 |
下位行政区画: | 79里1,549鄰 |
屏東市長: | 葉寿山 |
公式サイト: | 屏東市公所 |
情報 | |
総人口: | 216,696 人(2006年8月) |
世帯数: | 70,071 戸(2006年8月) |
郵便番号: | 900 |
市外局番: | 08 |
屏東市(へいとうし)は台湾屏東県の県轄市。屏東県政府の所在地である。
地理
屏東市は屏東県北西部に位置し、北は九如郷と、東は長治郷、麟洛郷と、西は高屏渓を隔てて高雄市大寮区、大樹区と、南は万丹郷とそれぞれ接している。屏東平原に位置するため地勢は平坦であり、自然条件にも恵まれ物産が豊富である。熱帯モンスーン気候に属し、年間平均気温は24℃、南国風情から「太陽城」とも称されている。
歴史
屏東市の旧名は「阿猴」或いは「雅猴」であり、古くは平埔族阿猴社の居住地であった。記録によれば1684年前後に漢人がこの地に入植を開始し、乾隆年間には「阿猴街」と称される街区が設けられている。1836年には外敵の侵入を防ぐ為に城壁を巡らせている。
半屏山の東に位置することから古來「屏東」とも稱されてきたが、1920年の台湾地方制度改制の際、土地の有士の希望もあり「屏東」と改名し、「屏東街」を設置した[1]。1933年に市制施行により屏東市が誕生した[2]。
戦後は付近の万丹郷、九如郷、長治郷を合併し省轄市となった。1950年の行政区域調整の際に、再び屏東市のみを分離し県轄市と改編され現在に至っている。
歴代市長
代 | 氏名 | 着任日 | 退任日 |
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初代 | 李世昌 | - | - |
第2代 | 張朝任 | - | - |
第3代 | 張朝任 | - | - |
第4代 | 邱慶徳 | - | - |
第5代 | 邱慶徳 | - | - |
第6代 | 張河川 | - | - |
第7代 | 張河川 | - | - |
第8代 | 董栄芳 | - | - |
第9代 | 董栄芳 | - | - |
第10代 | 容滋浩 | - | - |
第11代 | 容滋浩 | - | - |
第12代 | 黄清漢 | - | - |
第13代 | 王進士 | - | - |
第14代 | 王進士 | - | - |
第15代 | 葉寿山 | - | 現職 |
教育
大学
技術学院
高級中学
高級職業学校
国民中学
国民小学
交通
種別 | 路線名称 | その他 |
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鉄道 | 屏東線 | 六塊厝駅 屏東駅 帰来駅 |
高雄捷運 | 屏東延伸線 | 計画線 |
省道 | 台1線 | |
省道 | 台3線 | |
省道 | 台24線 | |
省道 | 台27線 | |
空港 | 国内空港 | 屏東空港 |
観光
- 阿猴城門
- 屏東糖廠
- 屏東書院
- 下淡水渓鉄橋
- 東山禅寺
- 崇蘭蕭家古厝
- 孫立人行館
- 中山公園
- 河浜公園
出典
- ^ 水越幸一 「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四六頁。
- ^ 1939年の町名改正により、屏東市の中心部は田町、北町、大和町、干城町、若松町、大宮町、旭町、清水町、幸町、緑町、栄町、本町、小川町、昭和町、瑞穂町、大武町、柳町、黒金町、千歳町、竹園町、隼町となった。