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屏東中心部
屏東県庁舎
屏東県族群音楽館(旧孫立人行館)
屏東市(ピンドン/へいとう し)は台湾南部の市。屏東県の県轄市で、屏東県政府の所在地である。
屏東市は屏東県北西部に位置し、北は九如郷と、東は長治郷、麟洛郷と、西は高屏渓を隔てて高雄市大寮区、大樹区と、南は万丹郷とそれぞれ接している。屏東平原に位置するため地勢は平坦であり、自然条件にも恵まれ物産が豊富である。熱帯モンスーン気候に属し、年間平均気温は24℃、南国風情から「太陽城」とも称されている。
屏東市の旧名は「阿猴」或いは「雅猴」であり、古くは平埔族阿猴社の居住地であった。記録によれば1684年前後に漢人がこの地に入植を開始し、乾隆年間には「阿猴街」と称される街区が設けられている。1836年には外敵の侵入を防ぐ為に城壁を巡らせている。
半屏山の東に位置することから古來「屏東」とも称されてきたが、1920年の台湾地方制度改制の際、土地の有士の希望もあり「屏東」と改名し、「屏東街」を設置した[1]。1933年に市制施行により屏東市が誕生した[2]。
戦後は付近の万丹郷、九如郷、長治郷を合併し省轄市となった。1950年の行政区域調整の際に、再び屏東市のみを分離し県轄市と改編され現在に至っている。
行政区[編集]
地区
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里
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中
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端正里、武廟里、大同里、泰安里、文明里、光栄里、民権里、大埔里、必信里、崇礼里、崇智里、維新里
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北一
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広興里、空翔里、崇蘭里、潭墘里、勝利里、永城里
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北二
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斯文里、興楽里、華山里、北勢里、明正里、太平里、北興里、溝美里、中正里、仁愛里、三山里、海豊里、仁義里、和興里、信和里
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南一
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大洲里、前進里、清渓里、崇武里、大武里、永昌里、永順里、永光里、長安里、安鎮里、凌雲里、鵬程里
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南二
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新生里、永安里、頂宅里、頂柳里、新興里、公館里、龍華里、玉成里、大湖里、厚生里、建国里、択仁里、一心里、光華里、義勇里、万年里
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東一
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扶風里、楠樹里、金泉里、勝豊里、慶春里、安楽里、平和里、長春里、橋南里、橋北里、豊栄里、豊源里、豊田里、大連里、瑞光里
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東二
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帰心里、湖西里、湖南里
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歴代市長[編集]
日本統治期[編集]
屏東市尹[編集]
屏東市長[編集]
代
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氏名
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着任年
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退任年
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備考
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初代
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大関善雄
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1940年
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1941年
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依願免本官
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第2代
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山下若松
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1941年
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1942年
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台中市長に転任
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第3代
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神田利吉
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1943年
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1945年
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員林郡守より転任
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中華民国期[編集]
代
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氏名
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着任日
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退任日
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代理
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魏耀沌
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初代
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李世昌
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第2代
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張朝任
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第3代
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第4代
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邱慶徳
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第5代
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第6代
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張河川
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第7代
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第8代
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董栄芳
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第9代
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第10代
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容滋浩
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第11代
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第12代
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黄清漢
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第13代
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王進士
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第14代
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第15代
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葉寿山
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第16代
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-
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-
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第17代
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林亜蒓
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-
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代理
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程清水
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-
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第18代
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林恊松
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-
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現職
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高級中学[編集]
高級職業学校[編集]
国民中学[編集]
国民小学[編集]
千禧公園
林仔内三山国王廟
- ^ 水越幸一「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四六頁。
- ^ 1939年の町名改正により、屏東市の中心部は田町、北町、大和町、干城町、若松町、大宮町、旭町、清水町、幸町、緑町、栄町、本町、小川町、昭和町、瑞穂町、大武町、柳町、黒金町、千歳町、竹園町、隼町となった。
外部リンク[編集]