小原日登美

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小原 日登美
個人情報
生誕名坂本 日登美
国籍日本の旗 日本
生誕 (1981-01-04) 1981年1月4日(43歳)
青森県八戸市
スポーツ
競技レスリング
クラブ自衛隊体育学校
獲得メダル
日本の旗 日本
女子 レスリング・フリースタイル
レスリング世界選手権
2000 ソフィア 51kg級
2001 ソフィア 51kg級
2005 ブダペスト 51kg級
2006 広州 51kg級
2007 バクー 51kg級
2008 東京 51kg級
2010 モスクワ 48kg級
2011 イスタンブール 48kg級
レスリングアジア選手権
2000 ソウル 51kg級
2005 武漢 51kg級

小原 日登美(おばら ひとみ(旧姓・坂本)、1981年1月4日 - )は、日本の女子レスリング選手。青森県八戸市出身。陸上自衛官(現在の階級は1等陸尉)。

女子レスリング48kg級の坂本真喜子は妹、また女子レスリング67kg級の坂本襟いとこである。身長155cm。八戸工業大学第一高等学校-中京女子大学卒。

経歴

青森・八戸キッズでレスリングに取り組み、1998年に全国高校生選手権50kg級で優勝。1999年に全日本女子学生選手権51kg級と全日本選手権で優勝。2000年はアジア選手権で勝ったあと世界選手権で優勝。2001年に世界選手権連覇を達成した後、ひざの手術などで戦列を離れたが、2004年に復帰し、カナダカップとワールドカップで優勝した。2005年はワールドカップの出場を逃したものの、アジア選手権で優勝し、世界選手権で4年ぶりに優勝。全日本選手権でも勝った。2006年2007年の世界選手権で連覇を達成。

坂本が所属する51kg級は北京オリンピックで実施されないため、北京オリンピックは55kg級で出場を目指す予定であった。坂本が北京オリンピックの出場を果たすには、同階級で抜きん出た実力を誇る吉田沙保里を倒さなければならなかった。

2007年1月の全日本選手権で坂本は吉田と対戦したが、坂本の完敗に終わった。

また、同年4月のジャパンクイーンズカップ準決勝で坂本は松川千華子に敗れ、吉田が優勝したため、同年9月開催の世界選手権の55kg級の代表は吉田に決まった。世界選手権で吉田が優勝し、北京オリンピックの代表に決定したため、北京オリンピック出場の可能性は消えた。

2008年の世界選手権での優勝を最後に現役を引退。11月11日、防衛大臣浜田靖一から女性自衛官としては初となる、第1級賞詞(第1級防衛功労章)が授与された。

現役引退後は妹真喜子の指導に当たっていたが、2009年12月26日、妹が結婚を機に競技生活から身を引くことを明らかにしたため、日登美が現役復帰することを表明。48kg級でロンドンオリンピックを目指すこととなった。[1]2010年9月に行われたレスリング世界選手権モスクワ大会で7度目の優勝を果たし、世界柔道選手権銅メダリストの國原頼子とともに北澤俊美防衛大臣から顕彰された[2]

その後2010年10月、自衛官で元レスリング選手の小原康司と結婚したことを公表すると共に現役選手も続行。2011年9月13日に登録名を結婚後の戸籍名である『小原日登美』に変更したことを発表した[3]。同月、イスタンブルで開催された世界選手権で8度目の優勝。12月の全日本選手権でも優勝し、ロンドンオリンピック女子48kg級の日本代表選手に決定した。

夫も自衛官であり、練習をビデオに撮るなど、練習をサポートしているという[4]

関連項目

脚注

  1. ^ 自衛隊スポーツ2010年3月18日号、朝雲新聞社。
  2. ^ 女子2選手(体校)が快挙、世界レスリング・坂本が金 朝雲新聞社 2010年9月16日付
  3. ^ 坂本日登美、名字を小原に変更/レスリング サンケイスポーツ 2011年9月14日閲覧
  4. ^ “レスリング小原、自衛隊所属夫が「援軍」”. 日刊スポーツ. (2012年5月23日). http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20120523-955457.html 

外部リンク