宇佐美大輔
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基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1979年3月29日(45歳) | |||
出身地 | 秋田県平鹿郡雄物川町(現横手市) | |||
ラテン文字 | Daisuke Usami | |||
身長 | 184cm | |||
体重 | 84kg | |||
血液型 | O型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | パナソニック・パンサーズ | |||
背番号 | 2 | |||
愛称 | ダイスケ | |||
ポジション | S | |||
指高 | 238cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 335cm | |||
ブロック | 325cm |
宇佐美 大輔(うさみ だいすけ、1979年3月29日 - )は、日本の男子バレーボール選手。
秋田県平鹿郡雄物川町(現横手市)出身。ポジションはセッター。Vプレミアリーグのパナソニック・パンサーズ所属。
来歴
沼館小学校時代はミニバスケットボールをしていた。当時から身体能力が高く、5年生ながらレギュラーに定着していた。同じチームの1つ上の学年にはトヨタ アルバルク所属の半田圭史がいた。父(現在、秋田県立雄物川高等学校の校長)の勧めでバレーボール(十文字クラブ)を始める。
高校時代まではアタッカーをしていたが、東海大学時代から本格的にセッターを始める。2001年に全日本代表に初選出され、大学卒業後の2002年にNECブルーロケッツへ入団した。
抜群の身体能力を生かしたトスワークが特徴である。
2003年ワールドカップ、2004年アテネオリンピック世界最終予選には全日本の司令塔として出場。2005年の植田代表監督就任後の新生全日本にも招集されたが、指導者の父の跡を継ぐために現役を引退して地元秋田へ帰郷することを決意し、2006年の全日本代表を辞退。引退前に全日本代表オポジットの山本隆弘と同じチームでプレーをするためNECからパナソニックパンサーズヘ移籍した[1]。
しかし、2007年アジア選手権で代表復帰し、2007年ワールドカップでは全試合出場を果たす。自身2度目の挑戦となった2008年北京オリンピック世界最終予選を経験し、北京オリンピックに出場した。しかしどちらの大会でももう一人のセッターの朝長孝介選手に正セッターの座を明け渡すこともあった。
2009年ワールドグランドチャンピオンズカップには主将として出場し全日本男子にとって32年ぶりとなる銅メダル獲得に貢献。天皇杯・皇后杯全日本選手権のパナソニックの優勝にも貢献した。
2010年、Vプレミアリーグのパナソニックの2年ぶりの優勝、黒鷲旗大会3連覇に貢献し、ベスト6に選出された。
同年6月に両足首を手術。11月の広州アジア大会で、約1年ぶりに全日本代表復帰して金メダル獲得に貢献した。[2]。
球歴・受賞歴
- 全日本代表 - 2001-2005年、2007年-
- オリンピック - 2008年
- ワールドカップ - 2003年、2007年
- ワールドリーグ - 2005年
- ワールドグランドチャンピオンズカップ - 2005年、2009年
- 受賞歴
- 2002年 - 第8回Vリーグ ベスト6
- 2005年 - 第11回Vリーグ ベスト6
- 2008年 - 2007/08 Vプレミアリーグ ベスト6
- 2009年 - 第58回黒鷲旗全日本男女選抜大会 ベスト6
- 2010年 - 2009/10 Vプレミアリーグ ベスト6
- 2010年 - 第59回黒鷲旗全日本男女選抜大会 ベスト6
- 2012年 - 2011/12 Vプレミアリーグ ベスト6
所属チーム
- 雄物川高校
- 東海大学
- NECブルーロケッツ(2002-2006年)
- パナソニック・パンサーズ(2006年-)
同時期の全日本男子セッター
脚注
- ^ “FIVBワールドリーグ2008 全日本選手の紹介”. フジテレビ. 2010年5月8日閲覧。
- ^ スポニチ - 清水、福沢ら主力を選出 宇佐美は復帰