山本隆弘
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| 基本情報 | |||
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| 国籍 | |||
| 生年月日 | 1978年7月12日(31歳) | ||
| 出身地 | 鳥取県鳥取市 | ||
| ラテン文字 | Takahiro Yamamoto | ||
| 身長 | 201cm | ||
| 体重 | 90kg | ||
| 血液型 | B型 | ||
| 選手情報 | |||
| 所属 | パナソニック・パンサーズ | ||
| コートネーム | タカヒロ | ||
| ポジション | OP | ||
| 指高 | 251cm | ||
| 利き手 | 左 | ||
| 最高 到達点 |
スパイク | 345cm | |
| ブロック | 331cm | ||
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■テンプレートの解説 |
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山本 隆弘(やまもと たかひろ、1978年7月12日 - )は、日本の男子バレーボール選手、バレーボール全日本選手。Vプレミアリーグのパナソニック・パンサーズ所属。
目次 |
[編集] 来歴
鳥取県鳥取市出身。友人に誘われて、中学2年よりバレーボールを始める。
長身の左利きプレイヤーとして日本の将来を携える選手と、2000年に当時の監督だった田中幹保によって全日本に選出された。サウスポーゆえの逆回転ジャンプサーブを武器としている。
2003年ワールドカップではベストスコアラーとMVPを獲得し、アテネオリンピック最終予選でも日本の期待を背負っていたが、不振にあえぎ、途中で加藤陽一と交代する場面が多かった。
2004年プロ契約を結ぶ。そして、アシックスとアドバイザリースタッフ契約を締結。
監督が植田辰哉に代わると、戦術上の問題(スーパーエースを置かず、サーブレシーブをさせる戦術)により2年ほど全日本には招集されなかったが、2006年世界選手権代表候補の中に選ばれ、スーパーエースとして試合終盤の驚異的なスパイク決定率などでベスト8入りの大きな原動力になった。
2007年ワールドカップでは、腰のケガが完治しておらず清水邦広にスタメンを明け渡す場面があり、途中からのワンポイントブロッカーでの起用が多くなった。スタメンで出た試合で大活躍し結果を残した。
2008年北京オリンピック代表に大学の大先輩斉藤信治選手と一緒に選出される。
[編集] 人物・エピソード
- 妻はイトーヨーカドープリオールに所属していた元バレーボール選手熊倉由美である。
- 巨人の上原浩治との交友関係がある。
- 非常に気が優しく自分自身には厳しい性格。
- 趣味はゴルフ。
- キャッチコピーは「世界が認めたニッポンの大砲」[1]
[編集] 球歴・受賞歴
- 所属チーム履歴
- 鳥取市立東中学校 → 鳥取商業高校 → 日本体育大学 → 松下電器(現:パナソニック・パンサーズ)(2001年-)
- 全日本代表 - 2001-2004年、2006年-2008年
- 全日本代表としての主な国際大会出場歴
- 受賞歴
- 2003年 - ワールドカップ MVP、ベストスコアラー
- 2004年 - 第10回Vリーグ ベスト6
- 2008年 - 2007-08 プレミアリーグ MVP、ベスト6
[編集] 脚注
- ^ アテネオリンピック最終予選のテレビ放送用に使用されたキャッチコピー
[編集] 外部リンク
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バレーボール全日本男子 2002年世界選手権
バレーボール全日本男子 2003年ワールドカップ
バレーボール全日本男子 2006年世界選手権
バレーボール全日本男子 2007年ワールドカップ
バレーボール全日本男子 2008年北京五輪

