好村冨士彦

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好村 冨士彦(こうむら ふじひこ、1931年 - 2002年9月19日)は、ドイツ文学哲学者

来歴

東京都生まれ。父は宗教家の好村春基。38年北支宣撫の父に従って北京に。43年父死去、46年引き上げ、広島高等学校に入るが49年学制改革で広島大学理学部入学、肺結核のため療養。58年早稲田大学第一文学部独文科に入り、60年安保で野口武彦らと知る。62年卒業、大学院に進む。清水多吉池田浩士らとブロッホ研究会を作る。67年博士課程単位取得満期退学、日本大学理工学部講師(ドイツ語)。70年京都大学教養部講師。72年助教授。73年西ドイツに渡る。78年広島大学文学部助教授、83年教授。95年定年退官、東亜大学大学院教授。

著書

共著

  • ドイツ語の本 池田浩士、野村修 三一書房 1977.3

翻訳

参考

  • 「考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集」附載年譜