大津神社 (羽曳野市)
大津神社 | |
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社殿正面 | |
所在地 | 大阪府羽曳野市高鷲 |
位置 | 北緯34度34分11.34秒 東経135度34分58.05秒 / 北緯34.5698167度 東経135.5827917度座標: 北緯34度34分11.34秒 東経135度34分58.05秒 / 北緯34.5698167度 東経135.5827917度 |
主祭神 |
素盞嗚尊 奇稻田姫命 天日鷲命 |
社格等 |
式内小社 旧村社 |
創建 | 不詳 |
別名 |
午頭天王社(旧称) 河内国大宮(通称) |
地図 |
大津神社(おおつじんじゃ)は、大阪府羽曳野市高鷲にある神社。式内社で、旧社格は村社。
概要
厄除開運、縁結び、安産、家内安全、交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。おついたち(一日)は一日参りで賑わうが、平素は人通りが少なく、静かである。羽曳野市内の氏神様として認識されている。
祭神
- 主祀神
- 配祀神
歴史
大津神社は、十世紀はじめ、醍醐天皇の御代に編纂された延喜式神名帳の河内国丹比郡に「大津神社三座鍬・靱」と明記されている由緒の古い神社で、「丹下の郷の大宮」と称えられていた。当時、この地方には、近仇首王(貴須王)の子孫といわれる葛井氏・船氏・津氏の三氏が勢力を張っており、この三氏のうち津氏一族がこの地をトして「大宮山」と称し、自分達の守護神を奉斎したことが大津神社の発祥だろうという古来からの定説がある。
大津神社は津氏一族の守護神として創祀されたが、津氏一族が朝廷に召されて大和に移住し、また時代の推移に伴って氏姓制度が衰退していくと、中世以降には、大津神社はこの地方九ヶ村の人々の氏神として受け継がれ、「河内の大宮」と称えられた。その後、仏教の隆盛に伴い、本地垂迹説に基づいて「牛頭天王社」と称し、境内に真言宗の宮寺大宮山南之坊を設けて神仏混淆となり、社僧の支配を受けることとなる。広く世の人々からは「北宮の牛頭さん」と称えられ、親しまれた。
明治維新になると、新しい神社制度が定められ、神仏混淆が厳しく禁じられたため、高鷲・埴生両村の氏神として1872年(明治5年)5月村社に列格され、大津神社と改称された。第二次大戦後は、占領政策の神道指令によって国家の管理を離れ、1946年(昭和21年)6月2日、宗教法人令に基づき神社本庁所属の宗教法人としての大津神社が発足し現在に至る。今日では、羽曳野市西部、南西部、広域の氏神(産土神、鎮守神)として崇敬されている。
年間行事
同神社では年に2回祭りが開催される。都度、付近の道路に通行規制が敷かれる。秋は地車が曳航されるため、規制が増える。
- 夏祭り:毎年7月7、8日に開催される祭り。付近に祭りが少ないため、子供連れでごった返す。
2022年から、夏祭りは屋台が出ない。
- 秋祭り:毎年10月7、8日に開催される祭り。市内の向野地区から地車が曳航される。
境内
本殿、拝殿、幣殿からなる社殿は1640年(寛永17年)に建立されたものとされている。
境内社
- 大宮戎社(祭神:戎大神)
- 大宮稲荷社(祭神:宇迦之御魂大神)
- 辯天宮(べんてんぐう)(祭神:市杵嶋姫命)
- 平和之社(やわらぎのやしろ)(祭神:平和之神) - サンフランシスコ講和条約締結を記念して建立されたもので、氏子出身の戦没英霊278柱を祀っている。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス