大和町毛受

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大和町毛受
大和町毛受の位置(愛知県内)
大和町毛受
大和町毛受
大和町毛受の位置
北緯35度17分56.5秒 東経136度46分34.8秒 / 北緯35.299028度 東経136.776333度 / 35.299028; 136.776333
日本の旗 日本
都道府県 愛知県
一宮市
町名制定 1955年
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
491-0932
ナンバープレート 一宮

大和町毛受(やまとちょうめんじょ)は、愛知県一宮市にある地名。字が14ある。郵便番号は491-0932。

地理

南は大和町苅安賀苅安賀1丁目、北は寺前町竹橋町日光町に接する。

現行字

(五十音順・Yahoo!地図によった[1]

  • 一本松(いっぽんまつ)
  • 北河原(きたかわら)
  • 城之腰(しろのこし)
  • 辻畑(つじばた)
  • 伝治腰(でんじごし)
  • 中屋敷(なかやしき)
  • 西池田(にしいけだ)
  • 西屋敷(にしやしき)
  • 八法寺(はちほうじ)
  • 八幡前(はちまんまえ)
  • 浜田(はまだ)
  • 東屋敷(ひがしやしき)
  • 正寺(まさでら)
  • 宮東(みやひがし)

歴史

町名の由来

『塩尻』は、物部氏の一族である百舌鳥(もず)氏から分かれ諸国に散った者のうち、尾張国中島郡に定住した者が「毛受(もず)」の表記に変え、さらに読みが「めんじょう」と転じたものであるとしている[2]。『尾張国地名考』によれば、大和国の毛受(鵙)村に由来し[3]、読みが「もず」から「めんじょう」に転じた時期を鎌倉時代以降であるとしており、江戸時代には「めんじょう」と読まれており、現在の「めんじょ」の発音に変化したのはそれ以降とみられる[2]。「めんしょ」「めんじょう」とも称する[3]

過去に存在した字

(中島郡毛受村当時の字・愛知県地名収攬102ページによった・太字は現存)

  • 馬引前 まひきまえ
  • 北河原(きたがわら)
  • 多喜(だき)
  • 城之腰(しろのこし)
  • 西池田(にしいけだ)
  • 古井堀(ふるいぼり)
  • 傳治腰(でんじごし)
  • おたん畑(おたんはた)
  • 辻(つじ)
  • 壱本橋(いっぽんばし)
  • 八法寺(はちほうじ)
  • 浜田(はまだ)
  • 正寺(しょうじ)
  • 一本松(いっぽんまつ)
  • 田嶋(たじま)
  • 大辰巳(おおだつみ)
  • 南木西(なんぎにし)
  • 桺原(やなぎはら)
  • 岩堀(いわほり)
  • 切崎(きれさき)
  • 流(ながれ)
  • 清水田(しみずだ)
  • 藤ノ木(ふじのき)
  • 東屋敷(ひがしやしき)
  • 中屋敷(なかやしき)
  • 西屋敷(にしやしき)
  • 山浦(やまうら)
  • 八幡前(はちまんまえ)
  • 宮東(みやひがし)
  • 下河原(しもがわら)
  • 上河原(かみがわら)

またこのほか、嘉慶2年(1388年)8月13日付の「妙興寺領坪付注文」(妙興寺文書)には村内字として

  • 瓦堂前
  • 莇田
  • 東村
  • 八王子後
  • 深沼
  • 鎌田
  • 西奈木
  • 高畠
  • 筧口前

の字が記録されている[4]

沿革

  • 江戸時代 - 尾張国中島郡尾張藩領北方代官所支配の毛受村として所在[5]
  • 1889年明治22年) - 合併に伴い、日光村大字毛受となる[5]
  • 1906年(明治39年) - 合併に伴い、苅安賀村大字毛受となる[5]
  • 1908年(明治41年) - 合併に伴い、大和村大字毛受となる[5]
  • 1930年(昭和5年) - 愛知県令「愛知県毛織物検査規則」発布により、愛知県立毛織物検査所一宮支所が設置される[6]
  • 1951年(昭和26年) - 町制施行に伴い、大和町大字毛受となる[5]
  • 1955年(昭和30年) - 合併に伴い、一宮市大和町毛受となる[5]
  • 1970年(昭和45年) - 一部が神山1~3丁目・平和1~3丁目・末広1~3丁目・住吉1~2丁目となる[5]
  • 1973年(昭和48年) - 一部が八幡1~5丁目となる[5]

交通

施設

  • 八幡社[5]
  • 神明社[5]
  • 天王社[5]
  • 金毘羅社(大正3年八幡社に合祀)[5]
  • 浄土宗光明山金剛寺
永禄9年、毛受勝介・浅井玄蕃允による建立とする[5]
貞享元年、苅安賀村にあった天台宗法輪坊の寺籍を移して創建したとされる[5]
  • 竜明寺幼稚園[7]
  • 尾張中央保育園[7]
  • 毛受住宅[7]

史蹟

  • 毛受城址[3](毛受ノ古城[6]
『尾張志』は「浅井新八郎家老浅井玄蕃屋敷跡」とし、『新編一宮市史』は字城之越地内に比定し、苅安賀城の浅井新八郎の弟の砦であると推定している[6]

出身者

  • 毛受(鵜飼)庄左衛門尉勝明[6]
  • 毛受良三
寛政年間の彫刻職人[5]。京都において修行し、名古屋において活躍した[5]。宮地花池村の大神社に狛犬を奉納した記録が残る[5]

脚注

  1. ^ 愛知県一宮市大和町毛受”. 2014年4月22日閲覧。
  2. ^ a b 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月、906頁。ISBN 4040022300 
  3. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年、1329頁。ISBN 4-04-001230-5 
  4. ^ 有限会社平凡社地方資料センター編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年、377頁。ISBN 4-582-49023-9 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年、1330頁。ISBN 4-04-001230-5 
  6. ^ a b c d 有限会社平凡社地方資料センター編『日本歴史地名体系第23巻 愛知県の地名』平凡社、1981年、378頁。ISBN 4-582-49023-9 
  7. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年、1584頁。ISBN 4-04-001230-5