国会 (ドイツ)

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国会(こっかい、Reichstagライヒスターク)は、かつてのドイツ議会の名称。

一般に日本では帝政ドイツ時代のものが知られているため帝国議会とも言われ、また各時代を反映して帝国議会共和国議会と分けて称されることもある。

名称

「Reich」というドイツ語は「国」という意味で、「Reichstag」は国会、国議会、国家議会、ライヒ議会などの訳が当てられる。英語では一般に原語のまま知られているが、訳としては「Diet(国会。日本の国会も同様の訳)」が当てられる。ちなみに帝国を意味するドイツ語は「Kaiserreich」である。

「Reichstag」は神聖ローマ帝国時代に初めて開設された。この頃はまだ単に神聖ローマ皇帝の意見機関であって議会としての機能は有していなかった。その後ドイツ連邦時代に「Bundestag(連邦議会)」となったが、北ドイツ連邦の時に再び「Reichstag」とされた。ドイツ国成立後は帝政ドイツヴァイマル共和政ナチス・ドイツと変わらず「Reichstag」であった。第二次世界大戦後は、東西分裂期及び東西統一後のドイツ連邦共和国ではドイツ連邦議会(Deutscher Bundestag)、ドイツ民主共和国では人民議会(Volkskammer)にとって代わられた。

現在でもベルリンドイツ連邦議会議事堂として使用されている建物の名称に残っている。

構成

ドイツ帝国

各国会選挙詳細

ヴァイマル共和国

各国会選挙詳細

ナチス・ドイツ

ナチ党の権力掌握後、選挙は二度行われた。

この選挙の告示後に国会議事堂放火事件が発生し、ナチ党政府はドイツ共産党ドイツ社会民主党に対する大規模な弾圧を開始した。選挙後には大規模な国会開会の儀式が行われ、「民族高揚の日」としてナチス・ドイツの祝日となった(de:Tag von Potsdamポツダムの日)。開会後の国会では全権委任法が成立した。これにより国会は立法権を失い、政府が折々によりとった措置の報告を行い、必要がある場合には承認を求められるだけの存在となった。

1933年7月にナチ党以外の政党は禁止されており、政府の発表したリストを承認するのみの投票であった。以降国会はアンシュルスラインラント進駐などの節目にのみ開かれ、1942年2月26日を最後として開催されなくなった。

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