哀しみのマンディ

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哀しみのマンディ
バリー・マニロウシングル
初出アルバム『バリー・マニロウII』
B面 Something's Comin' Up
リリース
規格 7インチレコード
録音 1974年
ジャンル ポップ
レーベル ベル・レコード
作詞・作曲 スコット・イングリッシュ
リチャード・カー
バリー・マニロウ シングル 年表
哀しみの
マンディ

(1974年)
愛は奇蹟のように
(1975年)
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哀しみのマンディ
ウエストライフシングル
初出アルバム『ターンアラウンド』
B面 You See Friends (I See Lovers)
Greased Lightning
リリース
規格 シングル
録音 2003年
ジャンル ポップ
レーベル ソニーBMG
プロデュース スティーヴ・マック
ウエストライフ シングル 年表
Hey Whatever
(2003年)
哀しみの
マンディ

(2003年)
Obvious
(2004年)
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哀しみのマンディ」(かなしみのマンディ、Mandy)は、1974年にリリースされたバリー・マニロウの楽曲およびシングル

原曲

この曲は、元々は作曲家スコット・イングリッシュ英語版リチャード・カー英語版1971年に発表した「ブランディ」(Brandy)という楽曲であった。この時は全英シングルチャートで12位を記録したが、テンポの早かったこのバージョンはアメリカ合衆国では失敗した。1974年にバリー・マニロウによって「マンディ」の名でレコーディングされ、本作はマニロウの最初のBillboard Hot 100およびアダルト・コンテンポラリー英語版イージーリスニングチャート第1位獲得シングル、および初のゴールドシングルとなった。

スコット・イングリッシュが、気に入りの犬を題材にこの歌を書いたという説は、どうやら都市伝説のようである。イングリッシュが語るには、ある記者が朝早く訪れて「ブランディ」とは誰かと尋ねてきたため、腹を立てたイングリッシュが記者を追い払うために「犬」の話を作り上げたのだという[1]

1971年のイングリッシュによるレコーディングとマニロウのレコーディングの間に、バンド「ルッキング・グラス英語版」が「ブランディ」(Brandy (You're a Fine Girl))というヒットソングを発表した。そのため、マニロウがこの曲をレコーディングすることを決めた際、混同を避けるためにタイトルを「マンディ」に改めた。マニロウにこの曲をレコーディングするよう勧めたのはクライヴ・デイヴィスである[2]

マニロウは最初この曲をイングリッシュのオリジナルと似たアップテンポの「バブルガム・ポップ・チューン」でレコーディングしたが、彼とプロデューサーのロン・ダンテ英語版は完成した曲が気に入らなかったと伝えられている。そのため、彼はこの曲をバラード調で歌い、より満足のいく結果となった。この曲はマニロウ初のヒットシングルであり、またクライヴ・デイヴィスのアリスタ・レコード(当時はベル・レコード)レーベルからリリースされた作品として初めてBillboard Hot 100にチャートインしたヒット曲となった[3]

この曲には、後述するウエストライフ以外にもいくつか有名なカバーバージョンがある。

ウエストライフによるカバーバージョン

「哀しみのマンディ」は2003年にバンド・ウエストライフによってカバーされ、4作目のスタジオ・アルバム『ターンアラウンド英語版』からシングルカットされた2作目のシングルとしてリリースされた。このシングルは全英シングルチャートで1位を記録し、同バンド12作目となるチャート1位を記録したシングルとなった。本作はイギリスにおいて190,000枚以上の売り上げを記録した[4]

関連項目(英語版)

出典

  1. ^ The Billboard Book of Number One Adult Contemporary Hitsで示されている
  2. ^ Allmusic.com
  3. ^ Mandy Songfacts
  4. ^ http://www.mtv.co.uk/music/charts/official-uk-countdowns/westlife-official-top-20