和歌山静子

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和歌山 静子(わかやま しずこ 1940年 - )は、日本の挿絵画家絵本作家京都府生まれ。現在、神奈川県逗子市在住。

経歴

幼少期は函館に住み[1]、戦後間もなく東京都国立市の小学校に入学[2]武蔵野美術学校を目指すため吉祥女子高等学校に進学、美術部に入る[2]1962年武蔵野美術短期大学デザイン美術家を卒業[2]

フリーのデザイナーやイラストレーターをしていた1966年、デザイン会社からがあかね書房に和歌山の絵を紹介してもらい、児童文学者の寺村輝夫が和歌山の存在と絵を知って気に入り[3]学習研究社の雑誌に連載する、『こびとのピコ』の挿絵を担当する事になった。これが気に入った寺村は「3年間他者の作品で描かず専属画家になって欲しい。契約料も払う」と言ったが、1年に何冊も発表されるわけでなく契約料だけでは生活できないと和歌山はこれを断り、寺村の紹介した広告代理店アドセンターで仕事をしながら[3]、挿絵を描く事にする。以後『王さまシリーズ』のみならず、寺村の長男と次男から名前を拝借した、オムくん トムくんシリーズほとんどが和歌山の担当となるが、『王さまシリーズ』を描き始めた頃は絵本や児童書の勝手がわからずかなり叱られ、寺村から叱りの手紙が速達で届いたこともあったが、自分がスランプで悩んでいると「子供達からの手紙には自分で描いた王様が多く描かれ、それは君が描いた絵を子供が真似て描きたくなるからで、このままでいい」と優しい言葉をかけられたこともあった[4]1970年、当時はまだ珍しく寺村も「まだ早過ぎた」と言う赤ちゃん絵本『たまごのほん』を発表、この頃の和歌山は自分の絵に自信がなく、それが作品にも表れたのかその後しばらくの間、絶版になる[5]

42歳で長男を出産してシングルマザーとなった頃[6]、油絵の具で描く太い絵柄にコンプレックスを抱いてスランプになり、『ぼくは王さま』で8B鉛筆で太く描いたり貼り絵やスケッチ画など表現方法を試行錯誤していき[7]、中国旅行へ出かけて今までの作風と違う写実的なタッチで絵を描き、それを日本の画廊に出品すると売れ、それまで20年ほど王さまシリーズのような太いタッチしか認められないと思っていたが「私の太い線の底には写実的な絵を描ける力が眠っているんだ」と自信がつき[4]、寺村輝夫は絵本は絵描きのものだと考えていたが和歌山は今までしなかった絵本を長男に読み聞かせていくうちに「絵本も文だな」と思い、絵本の言葉の大切さに気付きいつか自分で絵本を出そうと考え[6]、子育てをしながら絵本作りを学び、王様シリーズの絵を描いていく中で寺村から子供に伝える極意を教わった[8]。初のオリジナル絵本『ぼくのはなし』は子供向けの性教育絵本で小学校できちんとした性教育をと叫ばれた時代に、長男が小学4年生のときに通っていた小学校で翌年から性教育を始めると知り、子供向け絵本で性教育本がないか図書館に探しに行くが当時はなく、それなら作ればいい思い立ち監修は高校の恩師である山本直英に担当してもらい[6]、生あれば死もあることを本で伝えたく、これがスランプを乗り越えるきっかけとなる[8]

作品

画家が和歌山に差し替えられた作品

  1. まいごになったぞう
  2. あなにおちたぞう
  3. いいことをしたぞう
  4. まちをたべたぞう

シリーズ

たまごのほん(偕成社、1970年→理論社2003年
  1. たたくとぽん
  2. だれのたまごかな
  3. ふたごのたまご
  4. おおきなたまご
シリーズ名不詳(あかね書房、1979年1981年
寺村輝夫童話全集(ポプラ社、1982年

ここでは和歌山の挿絵担当分のみ掲載。

その他の単独刊行

1960年代
1970年代
1980年代

1980年代からは「王さまシリーズ」の再版に伴う、挿絵の再執筆に専念している。

寺村以外の作品

  • 『ちがうもん 350シリーズおはなしえほん』作・和歌山静子(2000年、ポプラ社)
  • 『しっこっこ できるよできる』文・西内ミナミ1999年、偕成社)
  • 『ぼくのはなし おかあさんとみる性の本』文・山本直英1992年童心社
  • 『わたしのはなし おかあさんとみる性の本』文・山本直英(1992年、童心社)
  • 『ふくろうのそめものや あかちゃんのむかしむかし』文・松谷みよ子1991年、童心社)
  • 『えんそくこわいぞあぶないぞ 新選創作どうわ』文・末吉暁子1985年、偕成社)

受賞

関連項目

出典

外部リンク

  • ありがとう 寺村輝夫さん - 「永井郁子のホームページ」より、永井と和歌山の追悼文。和歌山については告別式の悼辞も一部掲載。