コンテンツにスキップ

北支那方面軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北支那方面軍
創設 1937年昭和12年)8月31日
廃止 1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国の旗 大日本帝国
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 方面軍
所在地 北支
編成地 北京
通称号/略称
上級単位 天皇直隷-大本営
最終上級単位 支那派遣軍
担当地域 北支
最終位置 北京
戦歴 日中戦争
ソ連対日参戦
テンプレートを表示

北支那方面軍(きたしなほうめんぐん)は、日中戦争勃発後の1937年昭和12年)8月31日に編成された大日本帝国陸軍に於ける最初の方面軍である。司令部北京に置かれ、一貫して華北方面を作戦地域とし終戦時まで北京に在った。

沿革

[編集]

盧溝橋事件が発生、日中戦争が勃発し支那駐屯軍第1軍に改編されると同時に第2軍も設けられ、それらを統括するため大本営直轄軍として発足したが、1939年(昭和14年)9月23日には新設された支那派遣軍戦闘序列に編入された。

北支那方面軍の人事

[編集]

歴代司令官

[編集]
  • 寺内寿一 大将(陸士11期、陸大21期):1937年(昭和12年)8月26日 - 1938年(昭和13年)12月9日
  • 杉山元 大将(陸士12期、陸大22期):1938年(昭和13年)12月9日 - 1939年(昭和14年)9月12日
  • 多田駿 中将(陸士15期、陸大25期):1939年(昭和14年)9月12日 - 1941年(昭和16年)7月7日
  • 岡村寧次 大将(陸士16期、陸大25期):1941年(昭和16年)7月7日 - 1944年(昭和19年)8月25日
  • 岡部直三郎 大将(陸士18期、陸大27期):1944年(昭和19年)8月25日 - 1944年(昭和19年)11月22日
  • 下村定 中将(陸士20期、陸大28期):1944年(昭和19年)11月22日 - 終戦
  • 根本博 中将(陸士23期、陸大34期):1945年(昭和20年)8月19日 - 復員

歴代参謀長

[編集]
  • 岡部直三郎 少将(陸士18期、陸大27期):1937年(昭和12年)8月26日 - 1938年(昭和13年)7月15日
  • 山下奉文 中将(陸士18期、陸大28期):1938年(昭和13年)7月15日 - 1939年(昭和14年)9月23日
  • 笠原幸雄 少将(陸士22期、陸大30期):1939年(昭和14年)9月23日 - 1941年(昭和16年)3月1日
  • 田辺盛武 中将(陸士22期、陸大30期):1941年(昭和16年)3月1日 - 1941年(昭和16年)11月6日
  • 安達二十三 中将(陸士22期、陸大34期):1941年(昭和16年)11月6日 - 1942年(昭和17年)11月9日
  • 大城戸三治 中将(陸士25期、陸大36期):1942年(昭和17年)11月9日 - 1944年(昭和19年)10月14日
  • 高橋坦 中将(陸士27期、陸大38期):1944年(昭和19年)10月14日 - 終戦

歴代参謀副長

[編集]
  • 河辺正三 少将(陸士19期、陸大27期):1937年(昭和12年)8月26日 - 1938年(昭和13年)4月14日
  • 町尻量基 少将(陸士21期、陸大29期):1938年(昭和13年)4月14日 - 1938年(昭和13年)7月7日
  • 武藤章 大佐(陸士25期、陸大32期):1938年(昭和13年)7月7日 - 1939年(昭和14年)9月30日
  • 平田正判 少将(陸士25期、陸大34期):1939年(昭和14年)9月30日 - 1941年(昭和16年)3月1日
  • 有末精三 大佐(陸士29期、陸大36期):1941年(昭和16年)3月1日 - 1942年(昭和17年)7月1日
  • 中西貞喜 少将(陸士29期、陸大37期):1942年(昭和17年)7月1日 - 1944年(昭和19年)3月1日
  • 徳永鹿之助 大佐(陸士32期、陸大41期) :1944年(昭和19年)3月1日 - 1945年(昭和20年)2月1日
  • 岡田重一 少将(陸士31期、陸大41期):1945年(昭和20年)2月1日 - 1945年(昭和20年)8月12日
  • 渡辺渡 少将(陸士30期、陸大39期):1945年(昭和20年)8月12日 - 終戦

経理部長

[編集]
  • 山本昇 主計中将:1939年(昭和14年)8月1日 - 1941年(昭和16年)3月1日[1]
  • 吉野繁 主計中将:1943年(昭和18年)6月10日[2] - 終戦

所属部隊

[編集]

方面軍創設時

[編集]

昭和14年末

[編集]

太平洋戦争開戦時

[編集]

終戦時

[編集]
防空部隊     
  • 高射砲第15連隊:寺田伊平大佐  
  • 野戦高射砲第74大隊[16]      
  • 野戦高射砲第86大隊:谷脇旦蔵少佐[16]
輸送・勤務部隊    
  • 第1水路輸送隊[16]      
  • 第23野戦勤務隊本部[16]      
  • 第26野戦勤務隊本部[16]
兵站病院      
  • 第151兵站病院[16]      
  • 第152兵站病院[16]     
  • 第153兵站病院(天津):木村虎次郎軍医少将[16]  
  • 第154兵站病院(北載河)[16]    
  • 第161兵站病院(石門)[16]    
  • 第187兵站病院(保定)[16]    
  • 第188兵站病院[16]      
補給廠     
  • 第20兵站病馬廠:小林幹雄獣医中佐    
  • 北支那軍馬防疫廠      
  • 北支那野戦兵器廠:星野秀敏大佐
  • 北支那野戦自動車廠      
  • 北支那野戦貨物廠      
  • 北支那野戦補充馬廠
其他直轄部隊
  • 電信第29連隊:片山幸市中佐[16]  
  • 北支那派遣憲兵隊[16]      
  • 北支那教化隊[16]      
  • 北支那野戦作井隊:鈴木一松少佐[16]
  • 北支那防疫給水部[16]
  • 北支那歩兵下士官候補者隊:吉岡頼勝大佐[19] 
  • 北支那経理部下士官候補者教育部[19]      
  • 北支那衛生部下士官候補者教育部[16]      
  • 北支那獣医部下士官候補者教育部[16]      
  • 北京陸軍兵事部[16]

脚注

[編集]
  1. ^ 福川 2001, 777頁.
  2. ^ 福川 2001, 797頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 藤井 2020, 147頁.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 藤井 2020, 148頁.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 藤井 2020, 149頁.
  6. ^ a b c 藤井 2020, 150頁.
  7. ^ a b 外山・森松 1987, 1256頁.
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 藤井 2020, 151頁.
  9. ^ a b c d 外山・森松 1987, 1257頁.
  10. ^ a b c d 外山・森松 1987, 1263頁.
  11. ^ a b 外山・森松 1987, 1258頁.
  12. ^ a b 外山・森松 1987, 1259頁.
  13. ^ a b c d 外山・森松 1987, 1260頁.
  14. ^ a b c 外山・森松 1987, 1261頁.
  15. ^ a b c d 外山・森松 1987, 1262頁.
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 外山・森松 1987, 1254頁.
  17. ^ a b c d e 外山・森松 1987, 1255頁.
  18. ^ 福川 2001, 301頁.
  19. ^ a b 外山・森松 1987, 1253頁.

参考文献

[編集]
  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 藤井非三四 著『知られざる兵団 帝国陸軍独立混成旅団史』国書刊行会、2020年。ISBN 4336065977 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 

関連項目

[編集]