前野宗義

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前野宗義
時代 鎌倉時代末期、南北朝時代 / 室町時代
生誕 正安2年(1300年
死没 南朝文中2年(1373年
北朝応安6年
別名 前野五郎三郎(通称
幕府 鎌倉幕府室町幕府
氏族 良岑氏前野氏[1]藤原高房流ともいわれる)
父母 父:前野宗氏 母:?
兄弟 前野宗義吉田義元
前野高康今井俊氏
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前野宗義(まえの むねよし)は、鎌倉時代末期から南北朝時代頃の武士尾張国土豪通称前野五郎三郎。『前野家伝書』によると南朝に仕えたとされる。織田家に仕えた前野高康


前野宗義と前野氏

尾張国の土豪前野家六代目当主・前野宗氏嫡男として正安2年(1300年)に生まれる[1]。前野家七代目当主となった。『前野家伝書』によると、文武両道で評価され、「伊豆三郎(武田信武)備後三郎(兒島高徳)にも劣らぬ五郎三郎(前野宗義)よ」と謳われていたとされる。宗義の次男・今井俊氏の末裔は小坂氏の本流となり、小坂行宗小坂吉俊はこの俊氏の末裔である。前野氏は、桓武天皇皇子良岑安世を始祖とする良岑氏の系統で、良岑高成(原高成)の子である良岑(前野)高長もしくはその曽孫である前野時綱が尾張国丹羽郡前野村(現在の愛知県江南市前野町〜大口町辺り)に移り住んで前野を名乗ったのが始まりとされている[2]。また良岑高成の娘は、平清盛の父である平忠盛であったともいわれ、高成の娘と忠盛の間に平忠度を産んだともされている[2]

武功夜話

武功夜話(ぶこうやわ)は、戦国時代から安土桃山時代頃の尾張国の土豪前野家の動向を記した家譜の一種であり、前野家文書ともいわれる。この記事では、この『武功夜話』に書かれている内容を軸にして説明している。ただ、用いられている語彙の一部は現代人にも容易に理解できるものがあり、資料としてのの信頼性は低いともいわれている。

系譜

脚注

  1. ^ a b 前野家古文書『武功夜話』より
  2. ^ a b 尊卑分脈』および『良岑氏系図』