函館市交通局30形電車

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30形
車内
運転台

函館市交通局30形電車(はこだてしこうつうきょく30がたでんしゃ)とは、1993年に復元された函館市企業局交通部(復元当時は函館市交通局。函館市電)の路面電車車両である。「箱館ハイカラ號」(はこだてハイカラごう)の愛称を持つ。

概要

明治から昭和初期にかけて旅客車として運用された後にササラ電車へ改造されていた車両を、1992年平成4年)の函館市市制施行70周年記念事業の一環として、1993年(平成5年)に旅客車へ復元した車両である。

製造

1910年(明治43年)天野工場(後の日本車輌製造東京支店)で製作された。前身は千葉県成田市で路面電車を運行していた成宗電気軌道(現、千葉交通)が1910年明治43年)に導入した車両であるが、同社の経営難から1918年大正7年)に当時の函館水電(現在の北海道電力)が車両増備のため5両購入し、10形の36号 - 40号として就役した。なお、成宗電気軌道は、1916年(大正5年)に成田電気軌道へ社名を変更している。

火災および大火による焼失

成田電気軌道から購入した5両のうち4両は1926年(大正15年)1月20日の新川車庫火災および1934年昭和9年)3月21日の函館大火で焼失したものの、39号だけは成田電気軌道由来の車両としては唯一被災せず、1937年(昭和12年)まで旅客車として運行されていた。 なお新川車庫火災にともなって39号車は同じ成田車で被災廃車となった37号車の番号を繰り上げ使用し、37号車と名乗っている。

ササラ電車への改造

1937年昭和12年)にササラ電車除雪車排形に改造され、その後1990年代初頭まで軌道線の除雪に使用された。

成田電気軌道時代から使用していたマウンテン・ギブソン(イギリス)製の台車からブリル製のものへ振り替えられたが、どの時点で振り替えが行われたかは資料に乏しく現在もあまりはっきりとはしていない。

旅客車への復元

1992年(平成4年)の函館市市制施行70周年記念事業の一環として、明治から昭和初期にかけて使用されていた車両を復元することとなり、車体は旅客車時代の図面を元に札幌交通機械にて現在の基準に適合した半鋼製車体を新製し、旅客車時代の内装や籐製のつり革などを含め忠実に再現した。

主要機器類はササラ電車時代の部品を整備の上使用している。そのため、台車にはササラ電車時代から使用しているブリル製台車が整備の上使用されており、成田電気軌道時代のマウンテン・ギブソン製の台車とは異なっている。

運用

1993年(平成5年)8月より運転を開始した。

当初は始発便及び最終便をのぞいて五稜郭公園前発着であったが、現在は出庫時の駒場車庫前 - 湯の川行きと折り返しの湯の川 - 函館どつく前行き、および谷地頭発湯の川行き最終便と入庫便である湯の川 - 駒場車庫前間の便をのぞくと、基本的に2系統谷地頭 - 駒場車庫前間と5系統函館どつく前 - 駒場車庫前間での運転となっている。

運転は例年4月中旬 - 10月末であるが、火曜日・水曜日は車両整備のため運休するほか、雨天や交通規制等により運休する場合がある。

関連項目