丸井太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。60.72.144.189 (会話) による 2022年5月4日 (水) 09:41個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎略歴)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

まるい たろう
丸井 太郎
本名 石上 正治(いしがみ しょうじ)
生年月日 1935年12月
没年月日 1967年9月6日
出生地 日本の旗 日本東京府
職業 俳優
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1958年 - 1967年
テンプレートを表示

丸井 太郎(まるい たろう、1935年12月 - 1967年9月6日)は、日本俳優。本名、石上 正治(いしがみ しょうじ)。身長166cm・体重82.5kg。東京府(現東京都)出身。

略歴

高校卒業後、文学座に入る。演出の仕事に携わっていたが、飯沢匡の勧めで俳優に転向する。1958年に大映でデビューする。大部屋俳優として過ごしていたが、1963年、テレビドラマ『図々しい奴』の主役に抜擢され、平均視聴率30%強、最高視聴率45.1%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)という大ヒットを記録し、一躍人気者になり、テレビドラマのオファーが殺到した[1]

しかし、当時の映画界は五社協定により人気スターがテレビドラマに出演することが許されなかった。「売れている役者は映画優先」という五社協定の事項、及び永田雅一社長が率いる大映の方針のために、丸井も映画界に戻らざるをえなかった。その後の丸井を待っていたのは、飼い殺しに等しい扱いだった。肥満体で朴訥(ぼくとつ)という丸井の良さを引き出す作品に出会えず、勝新太郎市川雷蔵の主演シリーズ、特撮映画で脇役を演じるに留まった。

その境遇に絶望した丸井は1967年9月6日、ガス自殺を図り絶命した。31歳没。

その後、大映は1971年に倒産するが、その主な要因となった映画事業の赤字による巨額負債が表面化したのは、丸井の死去から半月後のことであった。

出演作品

映画

テレビドラマ

脚注

  1. ^ a b 石橋春海『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、52頁。ISBN 978-4-7747-5853-4