下川原孝

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下川原 孝(しもかわら たかし、1906年7月25日 - 2011年3月11日)は、日本陸上競技選手。観光ジャーナリストの千葉千枝子は外孫[1]

人物

1906年(明治39年)、現在の岩手県陸前高田市で農家を営む家の次男として生まれる。日本體育會體操學校(現・日本体育大学)卒業後、岩手県内の複数の学校で体育教師を勤めた。第二次世界大戦の開戦直前、新設校への赴任に伴い釜石市に移住[2]岩手県立釜石高等学校では教頭職に就いた[3]

本格的に陸上競技を始めたのは50代の頃で、98歳からはマスターズ陸上を始める。100歳を超えて記録した砲丸投5m11cm、やり投12m42cm、円盤投10m72cmはいずれも世界記録[4]。その元気な姿は、NHKの『百歳バンザイ![5]TBS系列の『サンデーモーニング』等、テレビでもたびたび取り上げられていた。2009年には第4回日本スポーツグランプリを受賞した[6]

しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災に自宅のある釜石市で被災、避難所に避難していたところを津波に襲われ、亡くなった[2][7][8]。104歳没。

著書

脚注

  1. ^ ★追悼 104歳のアスリート下川原孝(1) 夕刊フジ 2011年5月9日付参照
  2. ^ a b 中大生の旅するチカラ”. 中央大学. 2019年5月閲覧。
  3. ^ 99歳祖父【下川原孝】が陸上競技で優勝!”. **千葉千枝子**旅のエクセレンス (2006年7月3日). 2021年1月31日閲覧。
  4. ^ Takashi Shimokawara, 104, a victim of Japanese tsunami IAAF(2011-03-30). 2011年7月31日閲覧
  5. ^ 百歳バンザイ!日々挑戦!円盤投げ世界一”. archives.nhk.or.jp. 2011年6月12日閲覧。
  6. ^ 第4回日本スポーツグランプリ受賞者(功績)”. 日本体育協会. 2021年1月31日閲覧。
  7. ^ 104歳アスリートも犠牲に 岩手・釜石の下川原さん”. www.47news.jp (2011年3月22日). 2011年5月4日閲覧。
  8. ^ “東日本大震災:心寄せて 無念104歳 陸上で追悼”. 毎日新聞. (2011年3月30日) 

外部リンク